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1月28日以来のこのシリーズの更新ですが、“被災地の風景”41回目は、2022年(令和3年)1月26日に図書館に行く時に撮影した公営住宅からの写真を、過去にこのシリーズでとりあげた写真と照らし合わせてとりあげていきたいと思います。

 

今回とりあげる公営住宅は、東日本大震災前には警察署があった所から、200メートルほど離れた所で、東日本大震災時には小学校があり、先日誕生日の記事を書いた私の13歳離れた従兄弟のTさんも東日本大震災時にはこの小学校に勤めていて被災し、現在は廃校になっています。

 

 

 

 

撮影位置が微妙に違っている写真も多く、どれだけお伝えできるかわかりませんが、以前撮影した時と比べて街がどのように変わったか、その変化を少しでもお伝えできればよいなと思います。

 

1.公営住宅の外観

 

 

上の写真は、2014年4月18日に撮影した公営住宅の外観ですが、2月2日に撮影した時は以下の写真のような状態でした。

 

 

6年前に撮影した写真と比べて少し離れた位置で撮影した写真のため、伝わりにくい所があるかと思いますが、公営住宅の外観に大きな変化はありません。


2.公営住宅からの眺め

 

①公営住宅から市民会館、図書館、小中学校方面

 

上の写真は2015年12月10日に撮影した写真ですが、正面奥に黒で囲んだ白い建物が市民会館で、写真手前では川に架かる橋の付替工事が行われています。

 

この写真から6年経った2022年1月26日には以下の写真のような状態になっています。

 

 

 

白で囲んだ所が市民会館、見えにくいですが写真右側の赤で囲んだ所が新しくできた公営住宅で、6年前は付け替え工事が行われていた橋も工事が終わっており、区画整理の影響か建物が建て替えられたり、何もなかった所には多くの新しい建物が建てられたりしているのが分かります。

 

②公営住宅から魚市場方面

 

 

上の写真は2015年12月10日に撮影した写真で、白で囲んであるのは、当時建設中だった公営住宅です。

 

この写真から6年経った2022年1月26日には以下の写真のような状態になっています。

 

 

 

 

白で囲んだ所が新しくできた公営住宅で、6年前に外観はできていたので公営住宅自体は変わりありませんが、写真手前では6年前はまだかさ上げが行われていた所に多くの建物が建てられたのが分かります。

 

③公営住宅から湾内、離島方面

 

 

上の写真も2015年12月10日に撮影した写真ですが、この頃はまだ川の対岸では公営住宅の建設が進められています。

 

この写真を撮影して6年後の2022年1月26日には、以下の写真のような状態になっています。

 

 

 

建設中だった公営住宅は完成し、かさ上げが行われていた所には建物が立ち、湾内には2021年(令和3年)に開通した高速道路の横断橋が架かり、2枚目の写真右側には2019年(平成31年)に離島に架かった橋も写っています(白で囲んでいるのがその橋です)。

 

 

以上が公営住宅から撮影した景色ですが、東日本大震災前から残っているものや変わらないものもあるとはいえ、それは限りなく少なく、東日本大震災によって写真で撮影した辺りは全く別の街並みになり、東日本大震災前はどんな街並みだったか思い出す事すら難しくなった気がします。

 

東日本大震災が起こらなければ、これだけ劇的に街並みが変わる事はなかったと思いますが、逆を言えばこれだけの事が起こらないと街並みは変わらないとも言える気がしますし、かさ上げされた所は東日本大震災で強制的に区画整理された感じすらします。

 

東日本大震災から間もなく丸11年を迎えますが、復興が進んでいるのは確かで、東日本大震災が起こらなければ高速道路や離島への橋がこれだけ早く開通しただろうかとも思いますし、東日本大震災前以上の街に変わった気はします。

 

そもそも、東日本大震災前には私の住む街には5階建て以上の建物など数えるほどしかありませんでしたが、今回撮影をした公営住宅を始め、街には多くの高い建物ができました。

 

こういった公営住宅には、私も含めて東日本大震災で被災して家を失った人達が入居してはいますが、その一方では私の住む街も人口減少が進んでおり、将来これらの住宅も空室が増えて来るのかと思うと、需要と供給のバランスというのは難しいものだとも感じますし、復興を叫びながら衰退も始まっていると感じた撮影でした。

 

つづく

 

最後までお読みいただきましてありがとうございました。