文字数:1351文字(原稿用紙約3枚半)

 

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2020年(令和2年)1月、私の家では前年の12月25日に亡くなった伯父の遺骨を、父が寝る和室に安置した生活が続いていました。

 

私は茶の間を通る時には、隣の和室の方をふすまが閉まっていても見ないようにし、茶の間にはお線香の香りがあるかもしれないため 息も止めていましたが、遺骨を預かっていた事に伴う緊張と怖さ、不安を感じる生活は落ち着きませんでした。

 

 

伯父の火葬の日から続いたそんな生活が終わったのは、旧正月を迎えようかという1月13日(月)頃ではなかったかと記憶しています。

 

この日の午前中、伯父の息子である従兄弟がやってきて、伯父の遺骨を引き取っていきましたが、その時は得体のしれないプレッシャーや怖さから解放されたような思いがして、それは今までにない経験ではありました。

 

結局私は伯父の遺骨を預かっていた2週間余りの間、伯父の遺骨を見る事はなく、今もなお伯父の遺影を見てもいなければ拝んでもいません。

 

それは伯父の死を認めたくない事と、伯父の死を認める怖さ故ですが、それが変わる事は今後もないとは思っています。

 

伯父の遺骨が引き取られてからは、伯父が亡くなる前までの生活に戻りましたが、気になったのは、まだ行われていなかった伯父の通夜祭と葬場祭がいつ行われるかという事でした。

 

毎日地元紙を見てはいたものの、その案内は出なかったのですが、その案内が出たのは1月21日(火)頃ではなかったかと思います。

 

この時初めて伯父の死が公にされましたが、23日(木)が通夜祭で、24日(金)が葬場祭ではなかったかと記憶しています(いずれも1日ずれているかもしれません)。

 

通夜祭も葬場祭も、私を諦めていたであろう父から行くように促される事はなく、私は両日とも父の普段とは違う動きを気にしながら家で過ごしました。

 

本来なら通夜祭や葬場際に行くべきなのは言うまでもありませんが、伯父の死を認めるのが怖くその勇気もなかった事、そして私が行く事で周囲に余計な気遣いをさせるであろう事を考えると、私は行くべきではないという思いもあって行きませんでした。

 

実の子以上に育ててもらいながら、最期に最大の裏切りをしたと今でも思っていますが、私が行く事で通夜祭や葬場祭の雰囲気をおかしいものにしないというのが、私なりの伯父への気持ちでもありました。

 

伯父や父をはじめとした周りへの申し訳なさを感じながらも、伯父の通夜祭と葬場祭は終了し、伯父が亡くなってから約1か月かかって一連の動きは終了となりました。

 

何もしていない私でも、緊張を感じたり申し訳なさを感じたりして気持ちが落ち着かなったり、張っていた所もあって、葬場祭まで終了した事はほっとしました。

 

この直後からコロナウイルスが猛威を振るい、亡くなっても火葬や葬儀に立ちあえなくなる事態になるとは誰も予想しなかったと思いますが、多くの人に参列いただけた中で通夜祭と葬場祭を終えられた事は、賑やかな事が好きな伯父にとっては良かったように思います。

 

こうして伯父の葬場祭が終わった事で、伯父が亡くなる前の生活に戻り、2月を迎えていく事になります。

 

つづく

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。