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三木谷浩史さんの“成功の法則92ヶ条”について、気になった箇所をとりあげていますが、今回は10回目になります。

 

 

P. 81 人間は自分を正当化したがる動物。

 

→これは21個目の法則として書かれている事で、三木谷さんは自己正当化しようとする事は当然であり、否定はしないけれどもそれを忘れない様に努めていると、ご自分を戒めるために書いていらっしゃいます。

 

私はこの法則を読むまで、人間は自分を正当化したがるという事は意識した事はなかったのですが、気がつけば自分の言い分は正しいと思って言っている事ばかりで、自分では気がついていなくても、無意識に自分を正当化しようとしている事に気づかされた気がします。

 

この法則の中には盗人にも三分の理という言葉が出てきて、私はこの法則を読んで初めて知ったように思いますが、世の中には絶対的に正しいと言える事は少ない一方で、人には自分を正当化する理由が必ずと言っていいほどあり、それは理解の余地がゼロではないと思うようにもなりました。

 

三木谷さんは、自分を正当化しようとするための他人の言い訳を聞いて、自分がどう思うかを考えれば、言い訳は傷口を広げる役にしか立たないとも書いていらっしゃいますが、それは頭では理解できる一方で、実際はやってしまう人が少なくないのではないかと思います。

 

私も他人の言い訳を聞いて言い訳はするまいと思っても、何か過ちをした時にはこれは言い訳とは別の事と自分を正当化しながら自分の言うべき事を言おうとしたり、実際に言ってきた事があったように思いますが、それも第三者から見れば言い訳の域は出ないものだったのかもしれません。

 

後になって振り返ると、何故自分はこんな言動をしてしまったのだろうと思いもしましたが、第三者の立場の時には嫌っていた事を当事者になるとしてしまうのは、立場の違い故であるのはもちろんの事、自分を正当化しようという本能がなす事であり、当事者だろうと第三者だろうとその時に思っている事は、自分を正当化しようとしている本能が思わせているのだと思います。

 

同じ意見にしても、立場違えば当事者からすれば反論や自己主張であり、第三者からすればそれは言い訳にしか聞こえないでしょうから物は言いようとも言えますが、そういう時はいくら正論を主張しているつもりでも、言い訳と言われて自分の評価を下げやすい事もまた確かです。

 

そういう現実を考えれば、批判されたり言われ続けたりするのは堪えるものの、一切反論しない方が傷口を広げなくて済むので、本当に自分を正当化したいと思って反論したい時ほど何も言わない方が賢明であり、それこそが真の自己正当化に繋がるようにも思います。

 

三木谷さんはこの法則の最後に、自己正当化という厄介な心の癖に対処するには、自分が自己正当化する生き物だという事を認識し、いつも再認識し続ける以外にはないと思っていると書いていらっしゃいます。

 

これは当事者と第三者の立場や意識の違いを埋める事に限界がある以上、自分は自己正当化する事を前提としてそれを意識して行動し続ける事が、当事者と第三者の立場や意識の違いやずれを埋める事に繋がると仰っているようにも思います。

 

当事者と第三者の立場や意識の違いをどうにもできないのは、私も経験から感じ続けてきた事ですが、自己正当化する事を認めて意識し続ける事というのは、当事者が第三者との立場や意識の違いを埋めるためにできる数少ない事であり、少しでも第三者とのずれがない判断をするために必要な事なのだとも思います。

 

この法則は三木谷さんにとっての戒めだけではなく、私にとっての戒めでもありますが、

私は人に対しては余程の事でない限り、自分を正当化するような自己主張はしないと決めていて、自分を正当化している点は少ないつもりではあるものの、無意識に自分を正当化してばかりなのだろうなとは思わせられました。

 

自分で改善するには限界がある事ではありますが、常に意識しておきたい事であり、必要以上に自己正当化はしないようにしたいと、今回読み直した事で改めて思いました。

 

 

“成功の法則92ヶ条”から気になった箇所の続きは次回書きたいと思います。

 

つづく

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。