文字数:1720文字(原稿用紙約4枚強)

 

数多あるブログの中からご訪問いただきまして、誠に有難うございます。

私の略歴はこちらです。

 

 

 

 

三木谷浩史さんの“成功の法則92ヶ条”について、気になった箇所をとりあげていますが、今回は8回目になります。

 

 

P.63 人生一生勉強。すべて勉強。

 

→これは15個目の法則として書かれている事ですが、一橋大学を卒業されてMBAも取得されている三木谷さんですらこんな事を仰っているのですから、他の人はどれだけ勉強しなくてはいけないのかとも思います。

 

これは社会に出て経験を重ねてから納得できるようになった事ですが、勉強の大切さというのは、学生の時以上に社会に出てから気づけるのではないかと思います。

 

私の大学のゼミの恩師であるT先生も、社会に出てからが本当の勉強であり、その必要性を気づく事になると仰っていましたが、それはこの法則に通じるものがあるように思います。

 

私も学生時代は勉強が苦手でしたし、何のために勉強するのかと思い続けたものですが、日々の仕事や生活をどうしようとか、どう生きようかと考えると、その中では勉強が必然的に必要になる気はして、学生の時に勉強の必要性と大切さに気づけず、一生懸命試行錯誤して勉強に取り組まなかった事が悔やまれもしました。

 

勉強というとテストでいい点を取るためとか、資格試験に受かるためという目的を達する手段という気がしていましたが、歳を重ねてからはそのようなための勉強は勉強とはいえず、習慣として行えてこそ勉強だと思うようになりました。

 

それは何もテキストを読んで問題を解く事でなくていいと思いますし、自分にとって大切にしている本を毎日読むといった事や、日々の仕事を振り返ってそれを反省して改善策を考えたり、それについて調べるといった事も十分勉強だと思います。

 

大切なのはそれを継続する事で、私はいつからかの一時期は、ほぼ毎日のように自分が心に留めておきたい事が書いてある本は読んでいましたが、それは後に勉強にも値しない、顔を洗うとかご飯を食べるといった習慣と同じものになりました。

 

ただ、それだけでは足りないと思って、実践的な仕事にも活きそうな事を学ぼうと思い、一時期は簿記を勉強したり経済学の本を読んだりもしましたが、簿記や経済について学んだのは、元々興味があって勉強していれば後々活きるのではと思っての事でした。

 

それで何かを学べるのが望ましい事ではありますが、勉強を習慣化した意味は何かを学ぶ事もさることながら、それ以上に勉強という習慣を通して、自分を律し続けるためだったと思います。

 

勉強というと学生時代の勉強をイメージしてしまいますが、そのような狭義の勉強にとらわれず、将来や自分のために必要なものを学ぶものと意識して、勉強に対してのハードルを下げれば、その必要性を理解できる人は少なくないと思います。

 

先を見据えれば学ばなくてはいけない事はいくらでもありますし、学ぶ事には終わりなしですから、それを続ける事でさらに学びたい事や学ばなくてはいけない事も見えてくるかもしれません。

 

勉強はまとまった時間やらなくてはいけないイメージがあるため、やるのが面倒だと思いがちかですが、私は1日15分でもいいと思っています。

 

それが1か月続けば15分×30日で7時間半、1年であれば15分×365日で91時間15分と、1日15分でもその継続の成果は無視できるものではありませんし、15分であれば忙しくてもどうにか作れる時間で、嫌だと思っても頑張って集中できるちょうどいい時間の1単位ではないかと思います。

 

最初は続けるのもしんどいかもしれませんが、それを続けて習慣化して慣れてしまえば、楽しくもなり始め、もっとやろうという気にもなり、勉強時間も自然と増えていくのではないかと思いますし、それは勉強に限らず多くの事に言える事であるとも思います。

 

この法則は私に勉強する事の本当の意味と大切さを深く考えさせ、勉強に終わりはない事を気づかせてくれましたが、勉強とは何かという考えに影響を与えてくれた、大切な考えの1つと言えます。

 

“成功の法則92ヶ条”から気になった箇所の続きは次回書きたいと思います。

 

つづく

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。