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前回までは安岡正篤(まさひろ)さんの“「こころ」に書き写す言葉”について気になった箇所を書いてきましたが、今回からは三木谷浩史さんの“成功の法則92ヶ条”について、気になった箇所を書いていきたいと思います。

 

 

本書を初めて読んだのは2009年(平成21年)頃にハードカヴァーで発売された本を、図書館で借りた時ではなかったかと記憶していますが、その後2013年(平成25年)頃に地元の書店で文庫本になっている本書を見つけて購入しました。

 

本書は成功の法則というタイトルがついていますが、成功の法則かどうかは別として、仕事に対する姿勢や物事の考え方に受けた影響が大きく、読み返す機会が多かった本です。

 

以下、本書の中から気になった箇所について書いていきたいと思います

 

P.21 世の常識なんていい加減なのだ。絶対に正しい考え方など存在しない。

 

→この考えは1つ目の法則である、“概念は相対化し、揺らぎながら進化する”の中に書いてあった事ですが、諸行無常や万物は流転するといった考え方に通じるように感じました。

 

三木谷さんが世の常識なんていい加減で、絶対に正しい考え方は存在しないと言い切っているのは、周りから否定的な事を言われ続けながら会社を大きくしてきた経験と自負からだと思いますが、これはそれだけ密度が濃く、質の高い経験を重ねてきた人だから言い切れる事にも思います。

 

私は変化が苦手なので、絶対的な物を信じたい傾向があるのですが、この件は私のそのような考えを変えるのに少なからず影響があり、私はこの件を読んでから、世の中に絶対に正しい考え方は限りなくゼロに近いと思うようになりました。

 

その限りなくゼロに近い絶対正しい考え方に含まれるのが、人を殺してはいけないとか、人の物を盗ってはいけないといった、普通に暮らしている分には多くの人がいけないと思う事です。

 

しかし、それとて自分の身内が殺されたとか、自分が物を盗った人間からお金や物をむしりとられてきたとなれば話は別で、報復的な事は誉められた事ではありませんが、相手の気持ちに立てばその気持ちや行為を否定できるものではなく、万事盗人にも三分の理なのかなとも思います。

 

今まで生きてきて、世の中の常識という言葉を何度も耳にしてきましたが、世の中の常識と思えるものがある反面、私も含め自分が正しいと思う事を世の中の常識にすり替えていると思える世の中の常識もあり、世の中の常識も実は自分を基準として思っているものが大半なのかなとも思います。

 

そう思うと、三木谷さんがここで仰っている世の常識なんていい加減だというのはその通りで、世の中の常識という言葉も、自分を正当化するための言葉でしかないのかもしれません。

 

この箇所を読んでからは、世の中の常識に対しての考えも変わり、絶対的に正しいというものが限りなく無いという事も意識するようになりましたが、この考えは譲れないという想いで人にものを言う時は、以前北尾吉孝さんの本を取りあげた時にご紹介した“自ら省みて縮くんば、千万人といえども吾往かん”の言葉を、自分に問いかけてから言うようになりました。

 

 

また、今回読み直して新たに思ったのは、世の常識がいい加減という事から派生して考えて、世の中の評判や評価も時にいい加減だという事で、時間が経っても変わらない評判や評価がどれだけあるだろうかとも思いました。

 

いい評判や評価は悪い気がしませんが、それとて一時かもしれないと思えば真に受けていられませんし、悪いものについても同様で、不快になるくらいなら知らぬが仏でいいでしょうし、自分にとって参考になるものだけ耳を傾けるくらいでよいのだと思います。

 

この件から世の中は絶えず移り変わり、絶対的な考えは無きに等しい事は理解できる事でその通りだとは思いますが、その一方で私は限りなくゼロに等しい、絶対的に変わらない考えを追い求めて信じたいと思い続けているようにも思います。

 

“成功の法則92ヶ条”から気になった箇所の続きは次回書きたいと思います。

 

つづく

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。