文字数:1877文字(原稿用紙約4枚半)

 

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安岡正篤(まさひろ)さんの“「こころ」に書き写す言葉”について気になった箇所を書いていますが、今回は30回目になります。

 

 

P.192 読書と連想 ―頭が閃く

書を読む際は、生きた人生に連想が及ぶことが必要だ。それを頭が閃くという。学問が身についてきた証拠だ。

 

→これは前職で仕事をしていた時に、休日に読書をしていた時に感じる事があり、この箇所を読んで、自分の経験が思い返された事もあって共感できました。

 

私は前職で週1回の公休日の午前中には、読書をして過ごす事が多かったですが、それは読書がストレス発散であり、読みたかった本を読み終えると満腹になった感じがしました。

 

読書をしている時は面白いと思って読んではいるのですが、読んだ事が自分の仕事に通じているように思える事もあり、それはこの箇所でいう人生に連想が及ぶとか、頭が閃いてきたという事に通じる事だったように思います。

 

読んでいた本がビジネス書や経営者の伝記、自己啓発本といわれるような類のものが多かった事もあると思いますが、自分の仕事とは違うジャンルの話でありながら、そこに自分の仕事にも通じる、普遍的な考えを見いだす事ができたり気づきがあった時は、嬉しく思ったものです。

 

それは何かを学ぶのが義務感ではなく、好きで楽しいからやっていた感覚があったからであり、その感覚があったからこそ、無意識に自分の仕事と関係のない話も結びつけられたのではないかと思います。

 

その感覚があれば、学んだ事も無意識に活かせるでしょうし、気づきや閃きもあるのですから学ぶ事はさらに楽しくなると思うのですが、本当の勉強というのはこのような側面があり、学んでわかった事を通して、そこから閃きが生まれるのは喜びや楽しさであり、幸せでもあるとは思います。

 

また、この事を書いていて思い出したのは、以前ご紹介した論語の中にある“これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず”ですが、この箇所を通して安岡さんが仰ろうとしている事は、これにも通じる事ではないかと思います。

 

 

そんな経験を重ねた事もあってか、仕事は違っても、仕事の進め方において大切な事は普遍的で共通しているという考えに至りましたが、意識が高かったり気持ちが強かったりすると、関係ない事すら自分にも関係しているように思えてくるのは、先日取りあげた本書の中の、“意味・意義”という事や、以前取りあげた稲盛和夫さんの“働き方”の中の感度の問題とも通じる事ではないかと思います。

 

 

 

 

 

また、それは仕事に限らず、世の中で起きている事全般に言える事で、どんな事にも通じる大切で普遍的な考え方は数多あり、それを日々違う事が起き続ける中で状況に合わせてどう活かし、応用していくかというのが生きる事の1つの側面にある気もします。

 

たとえば、事故を防ぐ事は仕事に限らずプライヴェートにおいても大切な事ですが、その事例が起きた状況は千差万別であっても、参考になり学ぶべき点は少なからずあるはずです。

 

極端な例かもしれませんが、飛行機と車の事故はその内容や規模は異なりますが、同じ乗り物で、整備や操縦、状況判断の仕方といった点にも共通している点はあるかと思いますし、そこにも何かお互い学ぶべき点や活かせる点はあるような気がします。

 

飛行機の事故を防ぐには、過去の同じような事故を検証してそれを活かす事も大切ですが、時に違う乗り物の事故にも視野を広げて、そこから活かせるものはないかを考える事で、思いもよらない考えに至る事もあるかもしれません。

 

学んだ事を活かすとか学んだ事が活きるというのは、学んだ事を違う事象にも当てはめて、普遍的に考えられる事ではないかと思いますが、私もこの箇所を読まなければ、このような考えに至れただろうかと思います。

 

最近は自分が読んできた本をブログに書く事を通して、今までは気づけなかった事に気づく事も出てきましたが、それもまた読書を通して学んだ事が身についた兆候といえるのかもしれません。

 

この箇所は読書の大切さとその意味や意義、そして学んだ事の活かし方について考えさせられた箇所ですが、私の読書の仕方に影響を与えたといえる箇所であり、これからも読書に際しては意識続けていく事になると思います。

 

“安岡正篤 「こころ」に書き写す言葉”から気になった箇所の続きは次回書きたいと思いますが、次回は最終回になります。

 

つづく

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。