文字数:1779文字(原稿用紙約4枚半)

 

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安岡正篤(まさひろ)さんの“「こころ」に書き写す言葉”について気になった箇所を書いていますが、今回は28回目になります。

 

 

P. 173 律する心 ―すべては「理想を描く」ことから

自分の理想の対象を念頭に描いて、その描く対象に我々が導かれて行く。その時必ず自ら省みて恥じ、懼(おそ)れ斎(いつき)し、戒め、律する心の動きがある。ここに道徳がある。

 

→この箇所は、理想や夢をはじめとして、あるべき姿や目標をイメージして、それを目指して努力していく過程の中で葛藤していく大切さを説いているように思いますが。この中にある斎(いつき)しとは、神道である期間中、ある種の日常的な行為を控えて穢れを避ける事なのだそうです。

 

心を磨くとが、律するとか戒めるというと、僧侶が修行に入るような禁欲的で特別な事に感じますが、そこまでの事をしなくても、私達は日常生活の中でも心を磨く事はできますし、それは方法や立場の違いだけなのだと思います。

 

理想や夢などに向かって進んでいる時は、思うようにならない時に考えたり悩んだり反省したりと、様々な心の動きと葛藤しながら、自分をコントロールして、それを叶えるべく進み続けます。

 

それは苦しみでもありますが、それこそが心を磨き自分の心を高める事にも繋がるともいえ、その尊さは僧侶の修行などと変わりのないものではないかと思います。

 

また、夢は追うプロセスの中に幸せがあるというのを聞いた事がありますが、その中には様々な葛藤や苦しみがありながらも、夢の実現に向けて進んでいく中には小さな目標の達成がたくさんあり、それもまた幸せだからこそ、夢は追うプロセスの中にこそ幸せがあるのだと思います。

 

たとえば、プロ野球選手を目指す人を例にあげると、上手くなろうと頑張っている時にはたくさんの試行錯誤や葛藤もあるかと思いますが、それを通して上手くなる中には嬉しくなる事もあって、そんな喜びや幸せも感じながらプロ野球選手に近づいていっているのではないかと思います。

 

そしてプロ野球選手になると、それは夢が叶ったと言えるのですが、そんな時にそれまでを振り返って思うのは、新しい技術が習得できて嬉しかった事や、そのために一生懸命だった事など小さな喜びを感じた時の事で、それが夢を追う中での幸せだった事に、夢が叶った時に気づくのではないかと思います。

 

これはプロ野球選手を目指す人に限った話ではありませんし、他のスポーツや仕事、大学受験や資格試験など、夢や目標を目指す事全てに言える事で、私も目標を達成できた時の事を振り返った時には、同じような想いを感じてきました。

 

夢が叶うとか、目標を達成する事は幸せな事である一方で、そこからは新たな目標に向かって進む事を求められますが、再びプロ野球選手を目指してやってきた人の例をあげると、今度はプロ野球選手としていかに活躍するかという目標や夢ができるかと思います。

 

しかし、プロ野球選手として活躍し続けられる人は一握りで、現役を引退してからは人生がうまく行かなくなる事もあるという話を聞きますが、それは夢や目標がなくなったり、見失ったりする事が人生に与える影響といえるかと思います。

 

このような事からも夢や目標が人を磨いて律する力は大きいといえ、それこそが道徳なのだと思いますが、そのためにも人は夢や理想というほど大きなものではなくても、小さくてもいいので目標をもつ事が大切であり、その事によって人は自分をある程度コントロールできるのではないかと思います。

 

この箇所を今まで何度か読んできた時には、理想をもつ事の大切さを漠然と意識しただけでしたが、今回これを読み直して考えてみると奥が深く、今まで以上にこの箇所が言わんとしている事を掘り下げて考える事ができたように思います。

 

安岡さんが仰っている言葉には圧倒されそうにもなりますが、日常生活の中でも実践できる事であり、目標の大小にこだわらず目標をもつ事の大切さとその意味、その力の大きさを感じる事ができ、今回これを書いた事でよい勉強になりました。

 

 

“安岡正篤 「こころ」に書き写す言葉”から気になった箇所の続きは次回書きたいと思います。

 

つづく

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。