文字数:1450文字(原稿用紙約3枚半)

 

数多あるブログの中からご訪問いただきまして、誠に有難うございます。

私の略歴はこちらです。

 

 

安岡正篤(まさひろ)さんの“安岡正篤 「こころ」に書き写す言葉”について気になった箇所を書いていますが、今回は19回目になります。

 

 

P.126 人生の画期(がっき) ―年代ごとにテーマは変わる 

二十前後は品性的にできるかできないか、三十前後は立つか立たないか、四十から五十は実を結ぶか結ばないか、六十以後は安心して死ねるか死ねないかの時期である。

 

→この箇所を読んで連想したのは、論語の中で孔子が仰っていた“十五にして学を志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして矩を踰(こ)えず“という言葉でした。

 

この様な事は生きる上で意識しなくてもいい事なのでしょうが、本を読んで知ると自分の人生が今どういう時期なのかは考えてしまいますし、時に自分の人生を俯瞰して全体像を見る上では必要になる考えである気がします。

 

私がこの箇所に線を引いたのは、2014年(平成26年)11月19日ですが、この時期は仕事をやっていけるかという迷いと不安が強い時期で、この箇所を読んでここが踏ん張りどころと思えて、立てるかどうかという事を意識したように思います。

 

若い時は自分の心身が衰えるという事など想像もしませんでしたが、実際その衰えを感じると、人生において若さも実力も体力もあって一番充実しているのは、30代ではないかと思います。

 

そんな時だからこそ、それまで培ってきた社会人としての力や経験、存在感を問われ、それを基礎として人生は次の展開を迎え、果たすべき役割も変わっていくのではないかと思います。

 

孔子も安岡さんも30代は立てるかどうかと仰っているという事は、30代が人生の重要な時期だというのは共通した認識とも言え、誰もが思う普遍的な考えなのかもしれません。

 

40代から50代が実を結ぶかどうかというのは、社会人でいえば昇進していって、実力と人間性に見合った役につけるかどうかという時期かと思います。

 

役職が人生の価値ではありませんが、それによって評価されてしまう部分もゼロとは言えませんので、この20年間が社会人としての1つの答えが出る時期ともいえ、人生が実を結んだ1つの形が、役職やポジションという事にはなるかと思います。

 

今の私は安岡さんの言葉の中でいえば、人生のテーマとしては60代のテーマと向かい合っていますが、日々生きている中で目の前の事と向かい合い続けるだけでなく、時に子供の頃や若かった頃を振り返ったり、今から将来について考えを巡らせたりと、視点を変えて人生を見る事も必要なのだろうなとは思います。

 

P.141 徳のはじめ ―人間である事の原点

元気というものは朗らかである。晴れ晴れして、快活である。だから人間はいつも快活を失わないということ、これがまずもって人間の徳のはじめである 

 

→この箇所は私が苦手で出来ない事でもあるので、この本を読んだ時には目に留めて意識したいと思って線を引きました。

 

安岡さんも多くの事を説かれてはいますが、その原点は元気で快活である事であり、大切な考え方はその上に成り立っていくという事を仰りたいのではないかと思います。

 

私は元気や快活さとは程遠い生活をしていますが、できるできないは別にして、その大切さは心に留めておきたいとは思います。

 

“安岡正篤 「こころ」に書き写す言葉”から気になった箇所の続きは次回書きたいと思います。

 

つづく

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。