文字数:1553文字(原稿用紙約4枚弱)

 

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“被災地の風景”19回目は、2014年(平成26年)6月24日、7月6日、7月8日に撮影した、海や水辺の風景、建設中の公営住宅、かさ上げが進む様子の写真をとりあげたいと思います。

 

①    湾内の風景(撮影日:2014年6月24日)

 

 

こちらの写真は、以前ご紹介した下のフェリーからの写真(撮影日:2013年8月7日)の位置から、1キロほど南(写真では左)に行った辺りから撮影したものです。

 

湾内に浮かんでいるのは養殖いかだで、写真左奥は湾に浮かぶ離島です。

 

 

 

湾内の風景を撮影した辺りにも、防潮堤が建設される事となり、2016年2月8日に行った時には、以下の写真のようになっていました。

 

 

 

②    水辺の風景(撮影日:同日)

 

 

 

 

 

 

 

こちらの写真は、先日ご紹介した下の写真の宿泊施設(撮影日:2014年6月14日)の場所から、内陸に2キロから3キロ入った場所です。

 

 

この場所は国道の裏道ともなっていた農道沿いにあり、市町村合併前はこの辺りが市と町の境になっていて、写真1枚目の傍にはハーフではありますが、高速道路のインターチェンジもできました。

 

元々は農業用のため池だった所で、今もその役割を担っていますが、そこに四阿(あすまや)や遊歩道、トイレ、駐車場が整備されて、水辺の公園のようになりました。

 

ため池では釣りをする人などもいますが、とても静かで落ち着ける場所で、家からそう遠くない所にありながら別世界のようでもあり、好きな場所の1つです。

 

私が小学校1年生の時には遠足で訪れましたが、その時はこんなに立派ではなく、ダムと呼んでいた、ため池のようなものが1つあっただけだった記憶があります。

 

その時の事を思うとまるで別物で、こんなに立派な癒しの空間に変わるものかと思います。

 

③    公営住宅(撮影日:2014年7月6日)

 

 

 

 

こちらの写真は、以前ご紹介した下の写真の大手量販店(撮影日:2013年10月30日)の場所から、川を挟んで1キロから2キロ北に行った場所になるかと思いますが、3枚目の写真は北側にある橋の上から撮影した写真です。

 

 

この公営住宅が建設された場所は、東日本大震災時には市内でも生徒数が多い小学校だった所で、私の13歳離れた従兄弟は、この小学校に勤務している時に被災しました。

 

この公営住宅は10階建てが1棟と、6階建てが2棟ですが、東日本大震災前に、街の中にはこれだけ高い建物はありませんでした。

 

また、集合住宅そのものが少なかった事もあって、集合住宅に住むという感覚すらなく、これだけ高い建物ができた事は驚きでした。

 

上の写真3枚を撮影してから約4か月後の2014年11月22日に撮影したのが以下の3枚の写真で、上の3枚の写真と比較して、工事の進捗状況がお分かり頂けるかと思います。

 

 

 

 

上の3枚の写真から約2か月後の、2015年2月2日に訪れてみると、3棟のうち6階建ての2棟は完成して、入居が開始されており、以下の写真のような状態になっています。

 

 

 

 

さらにその約2か月後、2015年4月18日に訪れた時には、10階建ての棟も完成していて入居が開始され、以下の写真のような状態になっていましたが、敷地内には小学校の通用口の門が残されており、ここが小学校だった証は残り続けていきます。

 

 

 

④    かさ上げが進む土地(撮影日:2014年7月8日)

 

 

 

こちらの写真は、以前ご紹介した下の写真(撮影日;2014年6月24日)を撮影した場所から、数百メートル東(写真では左)に行った、以前は船員寮があった辺りの場所から撮影しました。

 

写真2枚目の右側に写っているクリーム色の建物が、船員寮だったかと思いますが、これだけの土が使われる土地のかさ上げを見るのは初めてで、かさ上げが進んでいるのが分かります。

 

 

 

つづく

 

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。