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前回までは稲盛和夫さんの“働き方”について、気になった点を書いてきていましたが、今回からは北尾吉孝さんの“何のために働くのか”についてとり挙げていきたいと思います。

 

 

 

 

働いていない私が、働く事についての本を連続してとり挙げるのは、身の程知らずですが、働いていた時に思った事を踏まえつつ書きたいと思いますので、お読みいただけましたら幸いです。

 

本書を知ったのは2007年(平成19年)の春だったかと思いますが、当時の私は新卒で勤め始めた会社で5年目を迎え、交通事故がきっかけで営業事務として営業を支える立場にありました。

 

 

 

入社以来、私の面倒を見てくれた先輩のIさんは栄転し、一緒に働いていたSKさんという女性は退職する事となり、私は1人立ちの時を迎えていました。

 

1人で仕事を回していけるか不安で一杯だった時に、書店で見つけたのが本書でしたが、働く事に対しての視野が広がり、目先をどうこうしようではなく、もっと大きなもののために働こうと思え、それで幾分気持ちが落ち着いた記憶があります。

 

本書ではタイトル通り、何故働くのかという事について書いてありますが、それを説くにあたって多く書かれているのは古典の言葉です。

 

本書を通して、古典の多くの言葉を知り、それが今に至るまで自分の考えには多く影響を与え続けてきましたが、本書と出逢わなければ古典の言葉に興味をもったり、影響を受ける事もなかったかもしれませんし、論語を自分の考え方の軸にしようと思う事もなかったと思います。

 

東日本大震災時には本書も流されましたが、後に買い直して今も手元にありますので、それだけ思い入れのある、大切な本の1冊ではあります。

 

以下、本書から影響を受けた箇所について書いていきたいと思います。

 

 

P35.人間としての根本を養うために、実践するべきこととして、次のようなものがあげられます。

 

・心の糧になるような本を読む。

・自分が私淑できるような師を持つ。

・さまざまな経験や体験を踏まえて自分を練っていく。

 

→この件に初めて触れた頃は、人間としての根本を養う事など考えた事もありませんでしたが、大切な事には思えました。

 

心の糧になるような本は何かと言われると、今だったら論語をはじめとした古典や、人間学のような本かと思いますが、そう思える本があるというのも、本書のこの件の影響が少なからずあるかもしれません。

 

私淑できる師についてはいませんが、実際に多くの事を教えていただき尊敬できるのは、大学時代の恩師であるT先生と、新卒時の会社で5年間私の面倒を見てくれたIさんで、そう思えるだけの人と出逢えた事は、私淑できる師に勝るものだと思いたいです。

 

さまざまな経験や体験を踏まえて、自分を練っていくというのは、日々自分について考えたり、時に悩んだりする事がそれに該当するかとは思いますが、練るというのが前向きな事に対して、私が自分について考える事はどちらかというと後ろ向きなので、方向性が違う気はします。

 

そのため、人間としての根本を養う事とは言えず、そのレヴェルに達しているような事は出来ていないと思います。

 

この3点については出来ているとは言えませんが、影響を受けた件である事は確かです。

 

 

“何のために働くのか”から気になった箇所の続きは次回書きたいと思います。

 

つづく

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。