文字数:1718文字(原稿用紙約4枚強)
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松下幸之助さんの“道をひらく”について気になった点を書いていますが、今回は14回目です。
P192.自得する
みずからの力で歩むことの大事さを、みずからの身体でさとる(中略)。
きびしさこそ、自得への第一歩ではないか。
→自得という言葉は、以前から知っていた事もあり、本書でも目に留まりました。
知ったのは安岡正篤さんの本や北尾吉孝さんの本でしたが、自分を得る、自分を知る難しさを知った言葉として印象に残り続けていました。
私は自得とは、自分がどういう人間かを知る事だと思っていましたが、改めて調べてみると自分の力で悟る事、自分の力で理解する事という意味もあり、この言葉の奥深さを感じました。
ここでいう自得とは、経験して学ぶという意味かと思いますが、それを通して人間を磨き、自分の知らなかった自分を知る事が、自得の本当の意味ではないかと私は解釈しています。
自分はどういう人間なのだろうかという事は、誰もが1度は考えた事がある事ではないかと思いますが、それを知る事が簡単ではなく厳しい事を、この件は改めて感じさせてくれたように思います。
P194.虫のいいこと
自然の理に照らして、はたして虫のいいことを考えていないかどうかを反省してみたいものである。
→この件はP136の“ものの道理”と同じような事ではないかと思います。
虫のいい事を考えるのは本能でもあるでしょうから、自然な事かと思いますが、問題はそれを律する事ができるかどうかで、それは日々の行動の積み重ねがものを言うように思います。
本書では虫がいいことのたとえとして、雨が降っていても、傘も持たないで自分だけは濡れたくないという事を挙げていますが、これは自然の理からすればあり得ない話です。
虫のいい話というと思い浮かぶのはお金に関する事で、手元にお金はないけれど、贅沢な生活を続けたいというのも該当するかと思います。
これもまた自然の理からすれば矛盾する話で、この気持ちを抑制できなくなると、不正をしてお金を流用したり、盗んだりという事になるかと思いますが、一時は良くても矛盾した事は必ず破綻します。
私は何事をするにもしっくりくるとか、納得できる感覚を大切にしていますが、それは自然の理と照らし合わせてどうかという感覚でもあると思います。
たとえば、私が今100万円渡されたとしても、それを喜ぶ事はできません。
そのお金が何かをした事の対価とか、くじや何かで当たった事によるものというなら納得はできますが、もらう理由がないのに突然もらうと、代わりに何か悪い事がある気もして、もらう気にはなれません。
こう思うのも、無意識に理に適っているかどうかを判断するが故かと思いますが、この感覚こそが正常であり、目先のうまい話に食いつこうとしない感覚をもてている事が救いではあります。
虫がいい事を考えないのはもちろん、理に照らし合わせてどうかという感覚を大切にし続けたく思います。
P198.こわさを知る
せめて、何かのこわいものによって、これを恐れ、これにしかられながら、自分で自分を律することを心がけたい。
→怖い事は嫌なものではありますが、それは律する上でも必要なものであり、役割としては失敗と同じなのかなと思います。
子供の頃は何も知らない中で怒られて、何をしてはいけないかを学んでいくと思いますが、
メンタルが強い子供はそれに慣れ、ちょっと怒られたくらいでは動じなくなります、
私は子供の頃から怒られる事に人一倍怖さを感じ、それは今も変わっていないのですが、怖さを感じる感覚が敏感すぎるため、それが人生の弊害になっていると思います。
怖さを知る感覚は大切である反面、度が過ぎると社会にも適応できなくなるため、生きぬくには怖さに敏感であるよりも、不感であるくらいでないといけないのかもしれません。
怖さを知る事についてもバランスをとっていくのが望ましいのでしょうが、これもまた難しいものです。
“道をひらく”の中で気になった箇所の続きはまだありますが、続きは次回書きたいと思います。
つづく
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。