文字数:1227文字(原稿用紙約3枚強)

 

数多あるブログの中からご訪問いただきまして、誠に有難うございます。

私の略歴はこちらです。

 

 

 

先輩のYさんが退職してからの仕事に戸惑いつつも、体制を安定させるべく努め続けた事で、気がつけば精神状態の底を打っていたように思いますが、そんな頃に事故が発生してしまいました。

 

それは2014年(平成26年)6月9日(月)、11時5分頃の事で、SJさんという若手のドライバーさんから電話が入り、信号待ちをしていたら、駐車場からバックで出てきた車に左側面にぶつけられたとの事。

 

会社から近い場所なのですぐに現場に向かい、警察を呼ぶとともに現場検証を行いました。

 

この時の対応については、ワンクッションおいてノート見ながら対応と書いていますが、事故発生に動揺する中で、気持ちを落ち着かせるにはこの方法が一番よかったように思います。

 

事故対応の元となったのは、前年6月に初めて事故対応をした時の対応をまとめたノートですが、後の事故対応を考えて対策をまとめていたのは、我ながら良かったと思います。

 

大きな事故ではなかったですが、現場での対応の後は車の修理対応や報告書の作成、保険会社への事故報告に追われる事になり、日勤中はほぼこの仕事で終わりました。

 

この日の夜勤は何事もなく終わったようで、翌6月10日(火)の5時に早番の専務に引き継ぎをすると、私は着替えて古参のHKさんのタクシーで駅まで向かい、上京すべく移動しました。

 

この日は2か月ほど前に予約した、東京・丸の内のコットンクラブで行われる元シカゴのヴォーカリスト、ピーター・セテラのライブがあり、そのための上京でした。

 

 

偶然、夜勤明けだったために行けたライブですが、どうせならライブまでは好きな鎌倉で過ごそうと思い、ローカル線、新幹線、横須賀線を乗り継いで鎌倉へ向かい、昼頃に到着しました。

 

 

ローカル線と新幹線では寝て過ごしたため、頭はすっきりし、七里ヶ浜のアマルフィで優雅にランチをと思ったのですが、準備不足で場所を見つけられず、アップダウンの激しい住宅地を汗だくで歩き回って見つけられぬまま、鎌倉へと戻りました。

 

 

 

鎌倉では鶴岡八幡宮への参拝、近くにある鎌倉シャツのお店で鎌倉シャツの購入、お土産を購入し、小町通りにあるステーキ屋さんで葉山牛の鉄板焼きを食して、東京へ戻ってライブを堪能しました。

 

  

 

この時の事については、ピーター・セテラへの想いと共に下記の記事に書いていますが。参考にしていただければ幸いです。

 

 

 

 

ライブ終了後は高速バスの出発まで時間があったため母校に立ち寄り、母校傍の学生時代一度も寄った事がない本屋では“心配事の9割は起こらない”を購入。

 

 

 

その後は池袋から夜行バスで帰途に就きましたが、シンデレラのような休日であり、人生の中でも忘れられない休日の1日となりました。

 

こうして繁忙期に向けて心身ともにリフレッシュした私は、日常生活へと戻っていきます。

 

つづく

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。