文字数:1230文字(原稿用紙約3枚強)

 

数多あるブログの中からご訪問いただきまして、誠に有難うございます。

私の略歴はこちらです。

 

 

齋藤孝さんの“現代語訳 論語”について気になった箇所について書くのも、今回が6回目となります。

 

 

P110.礼服としては、麻の冠が正式だ。しかし、麻糸を織り込むのは手間がかかるので、この頃は絹糸にしている。これは倹約のためであり、実害はないので、私もみなに従おう。

しかし、主君に招かれたとき、堂の下に下りておじぎをするのが正式な礼であるのに、このごろは上でおじぎをしているのは、傲慢だ。礼儀上害があるから、みなのやり方と違っても、私は下でおじぎをしよう(従ってよい変化とそうでない変化がある)

 

→この件は変化に弱く、1つのやり方に固執しやすい自分が、臨機応変な判断の大切さを意識しておきたく線を引きました。

 

ただ、この件を読んでいると義を通す大切さを説いているようでもあり、変化に対応するか否かはそれに適うか否かで判断すべきで、判断基準である「義」はぶれていけないと説いているようにも思えます。

 

P110.先生には次の4つの事がなかった。

自分の私意で勝手にやる「意」がなく、何でもかんでもあらかじめ決めた通りにやろうとする「必」がなく、1つの事に固執する「固」がなく、利己的になって我を張る「我」がない(子、4つを絶つ、意なし、必なし、固なし、我なし)

 

→この件は自分が注意したい事として線を引きましたが、「意」と「我」はないと思うのですが、「必」と「固」があると思います。

 

自分の短所を言っているようにも感じられ、本書を読んでこの箇所が目に留まる度に、その思いを新たにするようにはしていましたが、性格の改善は難しいと思いつつ、意識し続ける事はその改善に近づいている事でもありますから、意識しないよりはマシかなと思います。

 

P121.寒さが厳しくなってはじめて、松やヒノキのような常緑樹が枯れにくい事が分かる(人もまた厳しい局面になった時に真価が分かるのだ)

 

→これは人間の真理の1つを上手くいっている件だと思います。

 

私の場合だとテンパりやすい事を自覚しており、そうならないよう日々意識はして様々な考えを自分の中に刷り込んでいましたが、その成果が問われるのは実際にテンパった局面です。

 

その時にそれまでの成果と自分の人間性が問われる事になり、そこでの対応が全てといってもよいかと思いますが、その時にそれまで積み重ねてきた事が活きない事は、それが甘かったという事だと思います。

 

私は今までの経験からどんなに積み重ねてきたものも、崩れる時は2秒と思っていますが、真価を問われる時というのは一瞬なのだと思います。

 

真価問われる時にそれまでの積み重ねを結果に繋げるのは難しい事ですが、そういう時への備えと鍛錬は怠りたくないものです。

 

今回はここまでですが、“現代語訳 論語”の中で気になった箇所の続きについては、次回以降書きたいと思います。

 

 

つづく

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。