文字数:1647文字(原稿用紙約4枚強)

 

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枡野俊明(しゅんみょう)さんの“頭が冴える禅的思考”の中から気になった箇所について書いていますが、今回は11回目です。

 

P151.成果にのみに重きを置かない

例)新製品を自分が開発

・それを形にしてくれる人、売ってくれる人、買ってくれる人がいて成り立つのにそれを忘れて、仕事をしていると、つい自分一人で仕事をしているような慢心が生まれる。

 

・開発を支えてくれる周囲の人が評価されないから、目立つ実績だけに評価が行くようになる。

 

→この件を読んで注意したいと思ったのは、つい自分一人で仕事をしているような慢心が生まれるという所です。

 

前職では周りの人の仕事にいい加減さが感じられ(例:勝手に休憩をとる、仕事を覚えないなど)、それを見て自分が頑張っていくしかないと思うようにもなっていました。

 

使命感や責任を持とうとする姿勢はいいのですが、それは自分だけが仕事をしているような錯覚と慢心を生み、他の人の仕事を忘れやすくなっていたと思います。

 

私は真面目にやっていましたし、仕事量もそれに見合うものだったとは思いますが、自分で全てできるわけではなく、分業してやってくれる人がいたからこそできていた事です。

 

周りは確かに真面目でない時や、仕事を覚えない事もありましたが、それでも私に優先しなくてはいけない仕事が入れば代わってもらう事もありました。

 

そうして助けてもらうからこそ自分の仕事も成り立ち、一生懸命になる事も出来ていたわけで、それを忘れて責任感が慢心へ繋がる傾向があったので、この言葉は戒めとして心に留めておきたい箇所でした。

 

また、この件と通じるのは“心配事の9割は起こらない”の中にある増上慢という考え方かと思いますが、仕事に限った事ではなく自分が慢心しないよう意識したい教えです。

 

 

 

 

P153.遺体修復の仕事=使命感

 

→ここでは仕事に対する思いの大切さを説いているのですが、その例としてベトナム戦争時の日本での事を挙げています。

 

戦死した人を本国に送り返す前に、日本で遺体を修復したそうですが、基地の人だけでは手が足りず、日給3万円でアルバイトを雇ったそうです。

 

しかし、ほとんどの人は2日ともたず辞め、基地の人は特別手当をもらうでなく仕事を続けたそうですが、そんな厳しい仕事を支えた想いが使命感だと著者は述べています。

 

私は死に関する事が苦手で、葬儀を始め御線香の匂いも大嫌いなのでこのような仕事はできないのですが、好き嫌いを超越させる強い想いは私も使命感だと思います。

 

前職のタクシー会社の運行管理の仕事はストレスもありましたが、自分を頑張らせていたのは自分が安全を守り続けるという使命感で、それがやりがいでもありました。

 

常に不安はありましたが、それは仕事の安全弁であり、感じなくなったら終わりだとも思っていましたので、不安を乗り越えさせる想いが安全への使命感だったと思います。

 

そんな経験があるからこそ仕事への想いを説くこの件に共感でき、それがもてなければ仕事はしない方がいいとも思えました。

 

私は仕事選びに際して、自分ができるとか出来そうと思える事と合わせて、使命感ややりがいを重視しますが、それはお金だけでは働けない自分の性格を知っているからです。

 

前職退職後に仕事を選ぶ際も、求人の内容に対してそれを感じられるか、ラジオの周波数を合わせるように仕事と自分の心を合わせようと試みましたが、そう思えるようなものはありませんでした。

 

それが働く事を諦めた一因でもありますが、使命感を持てなそうな仕事をすれば失敗したと思いますし、その気持ちを大切にした事は間違っていなかったと思います。

 

ただ、あえていうなら使命感を感じる心がなかったから感じられなかった、そんな気がします。

 

 

今回はここまでで、“頭が冴える禅的思考”の中で気になる箇所の続きは、次回書きたいと思います。

 

つづく

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。