文字数:1154文字(原稿用紙約3枚弱)

 

数多あるブログの中からご訪問いただきまして、誠に有難うございます。

私の略歴はこちらです。

 

 

 

 

日中は市役所での派遣社員としての仕事、朝と夜は経済学の勉強と忙しくも充実した日々を過ごしていた私ですが、この頃には東京から大学在学時にお世話になっていた親戚がやってきました。

 

東京の親戚限らずですが、この震災がなければ会う機会がなかったという人は本当に多く、震災がもたらした縁がたくさんあったのは確かで、震災がなければ東京の親戚とも会う機会があっただろうかとは思います。

 

東京の親戚がやってきた頃、伯父の家では心の区切りをつけるべく伯母の葬儀を行う事となりました。

 

伯母の娘である従姉妹のKさんは、休みの度に伯母を探して歩いていたのですが、見つかるには至らず、そこで区切りをつけるべく葬儀を行う事となりました。

 

その葬儀からでも10年になりますが、多くの人の遺体が見つかる中、伯母の遺体は今に至るも見つかってはいません。

 

葬儀の案内が出た新聞を見た時に、それまで自分の中で生きていた伯母がこの世の人でなくなったのを感じた気がしました。

 

内心その案内は見たくなかったというのが本音でしたが、したくもない葬儀をするのに断腸の想いだったのは他ならぬ伯父だったと思います。

 

7月29日(金)には結婚して遠方にいた伯母の長女である従姉妹のRさんが帰ってきて、明るく楽しいRさんが変わっていなかった事を何より嬉しく思ったものでした。

 

翌7月30日(土)は通夜祭が行われ、私も受付として参加しましたが、その時に伯母のかつての勤務先の人も多く訪れ、知らない方から声をかけられると・・・・

 

“係長(伯母の事)はあなたの事をよく言っていたよ”

 

と言われ、実の子でない自分を可愛がってくれていた伯母の想いを改めて知る事となり、熱いものを抑えられなくなりそうになりました。

 

神社という家もあってか通夜祭、そして7月31日(日)の葬場祭に訪れる人は本当に多く、地区の氏神である事は凄い事なのだと思わされました。

 

伯母の勤務先の方をはじめとして、この時に久しぶりにあった方も多かったですが、この様な場で会うのが不本意で残念ではありました。

 

伯母の葬場祭で7月も終わりを迎えたのと話は前後しますが、7月24日(日)に私はかねてから検討していたパソコンを購入しました。

 

 

これは今に至るまで使い続けているものですが、FOMA回線のデータ通信端末とセットで買うとパソコン本体が安くなるというもので、これであれば価格以上の価値はあると思って購入しました。

 

こうして震災から4か月半が経ち、自宅でパソコンを使ってインターネットが出来る生活が戻り、仮設住宅とはいえ少しずつ震災前の日常を取り戻していく事となります。

 

つづく

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。