文字数:1319文字(原稿用紙約3枚半)
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前回からは西多昌規さんの“テンパらない技術”について気になった点と自分を照らし合わせて書いていますが、今回は2回目です。
P46.自分がイライラしていると思えば、他人もそう感じている
・あまり声をかけられない、仕事を頼まれない、気を遣った態度をされる、挨拶の表情がぱっとしないなどサインは出ている。
→自分が苛ついていた時の事を思い返すと、そうだったなと思える件です。
この点について読み返し、これを書くに際して思いだしたのは、新卒時の会社で事務職のリーダー的ポジションで働いていた時の事です。
上司からの厳しい指導で凹み続けた一方でイラつく事もあって、ペンを折った事もありました。
そんな時の周りは自分に係わろうとしないか、その苛立ちがどうなるか戦々恐々としていたように思いますが、その時とった行動は悪かったなと今でも思います。
自分の感情というのは他人の表情を見ればわかるもので、自分がどういう状態なのか客観的に知りたければ他人を見るというのは一つの手かもしれません。
P58.テンパる=心の視野狭窄
・一つの事しか頭にない、“この基準は絶対だ”と決めてかかってしまうと不測の事態に対応できなくなる。
・ものの見方や考え方への偏り、他人の意見が耳に入らない場合はテンパる準備状態
→視野狭窄という言葉はこの本を通して知った気がしますが、自分がこの本を読むまでテンパってきた事を顧みて、とてもしっくりくる言葉でした。
テンパる=一つの事しか考えられない、一つの事しか見えないというのがその本質かと思いますが、自分がパニックになるというのはどういう事かこの件を読んで理解が深まったように思います。
私は万事に集中する事を心掛ける所があり、その姿勢故にテンパりやすいのは当然なのですが、自分の真面目さが裏目に出るのがテンパるという事なのだと思わせられました。
P60.視野が狭い人は抜きどころが分からない
・何も考えずに全てに全力投球していてはいずれテンパる
・自分の視野狭窄を修正する自信がなければ、他人の視点からならどう見えるか、他人の視点を拝借する。
→抜きどころが分からないというのはその通りで、分からないどころか抜く気もなく、抜く事は悪くらいに思っている所があります。
全力投球していてはいずれテンパるのが分かるのですが、それでも全力でやってから後で考えようという、責任感があるのかないのかわからないような考えで全力投球し続けてきたように思います。
他人の視点を借りて視野狭窄を修正するというのは一つの手ですが、前述した人の表情から自分がどういう状態かを判断するのも手かと思います。
ただ、それは人の顔色を必要以上に気にする事にも繋がるので、そうなって気分が滅入らない様にするためにも、視野狭窄のチェックとして人を見ているのかそうでないのかというのも意識しておく必要があると思います。
以上、“テンパらない技術”の中から気になった箇所について書いてきましたが、次回も気になった箇所について書いていきたいと思います。
つづく
最後までお読みいただき、ありがとうございました。