文字数:1423文字(原稿用紙約3枚半)

 

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2007年(平成19年)10月末、11月は燃料油の値上という事で指示を受けた自社設備への在庫確保に失敗し、そんな中で11月を迎える事になりました。

 

この時期はH課長との査定に関する面談も行われ、業務担当として目標を数値化せよとの話が出ましたが、言わんとしている事は分かりつつも何をどうしていったらいいか、誰に相談していいのかもわからず、次第に日常の仕事でもテンパり始めるのが常態化しつつあった気がします。

 

そんな中で先輩達からは冗談で、当時流行っていた事もあってか仕事はムーディーだと言われもして、聞いても答えてくれないという意味だったのかもしれませんが、笑うに笑っていられない言葉でした。

 

状況は日々厳しさを増していくのですが、仕事で追い込まれつつあった事と、OGさんの彼氏さんへの嫉妬が強くなった事があって、OGさんと一緒に部屋にいる時にウィスキーのストレートを煽って、そのまま自分で首を絞めようとした事もありました。

 

その時、OGさんはどうしたらいいかわからないという感じでしたが、一番見せたくない自分の弱さを見せた事になり、自分の本性が現れた時でもありました。

 

いうなればそれまでの自分はトラブルらしいトラブルがなく運が良かっただけであり、追い詰められた時に表れる本性を前提に、将来を考えていくべきだとも感じた出来事でした。

 

恥ずかしい醜態をさらしてしまいながらも、これを底にしてOGさんにも認めてもらうべく努めようと心新たに仕事にも取り向き始めたのですが、H課長からの指導は厳しくなっており、私のメンタルは追い詰められていました。

 

この頃は買収先が所有していたタンクを新たに油槽所として稼働させる話も進んでおり、それについての対策や、12月も値上がりする見通しを踏まえての在庫コントロールを迫られていました。

 

私はどうしていいかわからず、昼休みになると事務所2階の休憩室にて横になって休むようになり。この頃は私の異変を察したミクシィで知り合ったT氏が、困ったらいつでも連絡をするようにとの事で、昼休みに連絡をとってどうにか心を落ち着かせていました。

 

それでも限界を感じてしまった私は、11月22日(木)の午後に休みをとって上京し、T氏のもとを訪れて相談をしました。

 

それで幾分気持ちを落ち着けることができ、24日(土)と25日(日)には、かねてから約束していたOGさんとの1泊2日の鎌倉旅行に出かけました。

私もOGさんも鎌倉が好きで、2人で紅葉の鎌倉を見たいねという話をしていた事が叶っての事でした。

 

初日は北鎌倉から鎌倉を見て由比ヶ浜の傍にあるペンションで泊まり、翌日は鎌倉文学館や大仏などを見て、その後は横浜のランドマークタワーに行き、夕方の特急で帰途に就くという流れでしたが、今まで何度となく行った鎌倉への想い出の中でも忘れられない想い出の1つです。

 

 

ただ、思ったのは連休2日間を外出し通すというのは疲れるという事で、万が一結婚などして家庭サービスを求められたら自分にはもたないなという事も感じました。

 

こうして楽しい連休を過ごしもしたのですが現実は厳しく、休み明けの勤務は在庫コントロールと新しい油槽所の稼働に向けての対応策を迫られ続ける状態で、11月の在庫確保もうまくいかないまま12月を迎える事となりました。

 

つづく

 

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