文字数:1377文字(原稿用紙約3枚半)
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2004年(平成16年)1月、従兄弟の結婚式と同級生との飲み会を楽しく終えた私は、営業に努める日々に戻りましたが、2月に入るとある得意先から暖房用灯油タンクが壊れてきたので、その見積と設置工事をしてほしいとの話がありました。
ここは障害者支援施設で、毎年冬になると複数の業者から見積合わせをして納入業者を決めていたのですが、私の会社は毎年のように灯油を納入しており、灯油とは別にガスも納めていた記憶があります。
灯油タンクといってもあるのは490Lのホームタンクなので、使用量は一般家庭よりちょっと多いという程度だったかと思います。
この時に見積依頼を受けたのも490Lのホームタンクでしたが、ホームタンクだけでなく防油堤の工事も含めた見積を出す事となるので、私は慣れないながらも関連業者との打ち合わせをしたうえで見積を提示しました。
しかし、ここの担当者はそれに対してなかなか首を縦に振らず、価格の面だけでなく細かい事に対してあれやこれやと言ってきて、話が先に進もうとしませんでした。
かといって、他の業者にふろうとするわけでなく、自分をもて遊んでいるようにも感じられ、私は次第に心の余裕を失っていきました。
そうして悪戦苦闘していると暦は3月になり、支店では入社以来14年間勤めてきたガス担当のMさんが係長として転勤することとなり、私は送別会の幹事をすることとなりました。
日時と場所を決めて送別会をしたまでは良かったのですが、一次会が終わった時に収まりがつかず、幹事の私にあれやこれや言ってくる他の人達に、ちょっと声を荒げてしまったような記憶があります。
この時の私は障害者支援施設の仕事が追いつかず、それで余裕がない中であれやこれやと言われた事でテンパってしまったのです。
そんな私に優しいMさんは“後大丈夫だからいいぞ”と言ってくれましたが、入社1年目の指導員だったIさんは私を連れ出し、私の振る舞いを注意するのと同時に励ましてくれ、その時泣いていた私にハンカチを渡してくれました。
この時の事は恥ずかしく、今でも思いだしたくないテンパった想い出の1つですが、この時の自分には自分のメンタルを整えるとか、その異変に対応するといった術はありませんでした。
この送別会が終わって間もなくして、障害者支援施設の灯油タンクの設置工事もどうにか終わりましたが、先方の担当者である障害者支援施設の代表の名前と顔は今も覚えており、入所者へ向ける表情にも優しさが感じられず、どこか不敵で狡猾さも感じられたその表情は今も忘れられません。
こうして1か月以上にわたって悪戦苦闘した障害者支援施設の仕事が終わろうかという頃、今度はクリーニング店から廃業するので、設置していた重油タンクを撤去してほしいと依頼を受けました。
これについては支店にある2トン車で運べばよかったのですが、私はマニュアル車の運転ができなかったため、先輩であるIさんにこの仕事を頼み対応いただきました。
マニュアル車を運転できない事の弱さを知った出来事で、Iさんには申し訳ない思いで一杯でしたが、4月から始まる新年度には更なる出来事が待ち受けている事となります。
つづく
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