文字数:1592文字(原稿用紙約4枚弱)

 

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私の略歴はこちらです。

 

 

 

東京で住んでいた部屋も引き払い地元へ帰郷してからは、時折祖母の見舞いに行ったりして過ごしていましたが、入社する会社から私の部屋が決定したので荷物を送るよう連絡が入り、再び荷物はヤマト運輸の単身パックで送られる事になりました。

 

こうしてバタバタと過ごしていると大学の卒業式が近づいたため、青春18きっぷを使用して再び上京し、卒業式前日は私が東京での生活を終える時にマーチンのブーツをプレゼントしてくれたKA君の部屋に泊まらせてもらいました。

 

卒業式はというと出席はしましたが思う所は特段なく、イギリスの提携校の方の祝辞がちょっと印象深かったという程度でした。

 

午前中で卒業式が終わると、夕方からはゼミの追い出しコンパで3年生を交えて飲み、追い出しコンパが終わった後はH君、KI君、ME君と飲んで徹夜でカラオケとなりました。

 

何度となく繰り返してきた事もこれで最後かと思うと、楽しさよりは切なさの方が強かったのですが、それでも最後のカラオケは思いの丈を爆発させるかのごとく騒いだ記憶があります。

 

ただ、最後の方に入れたオフコースの“さよなら”を歌った時には自分で入れておきながら歌いながら泣きそうになってしまいました。

 

カラオケを終えると私は再び地元へ戻るべく始発で帰途に就きましたが、この時の3人での別れが今までの人生とは違う道の始まりのようにも感じられ、今まで何度も繰り返してきた飲み会終了の解散とは違うとても感慨深いものに感じられました。

 

再び地元へ戻って数日すると今度は入社前研修が始まるという事で、会社の本社がある街へと向かう事になりました。

 

その前日、伯父と伯母がささやかな送別会を開いてくれましたが、その席で祖母の話になったのはもちろんですが、この前後に私の母方の祖父が亡くなっていた旨を知らされました。

 

地元紙の死亡広告を見ると、確かに母から以前聞いた祖父の名前が載っていました。

 

その話をしながら、伯母が涙ぐんで今まで苦労をかけたねというような事を言ってきましたが、実の子でもない私を今まで育ててくれたことへの感謝が強かったので、もらい泣きしそうになりながら、もういいよといったのを覚えています。

 

伯父の家での送別会を終えると自宅へ戻り、この日は出発前夜という事で友人達が集まってくれましたが、いつもは明るく楽しいN君が厳しい顔で騒ごうともせず・・・・・・

 

“社会に行って地獄を見てこい”

 

と言って早々と帰っていきましたが、普段とのギャップに戸惑いつつも、彼なりの私への喝と厳しい激励のようにも感じられました。

 

N君とは帰郷の旅に楽しい時間を過ごし、これ以後も彼と会う事でストレス発散でき、気持ちも新たに頑張り続けることができたのですが、本当に私のことを心配している時は甘い事を一切言わず、誰よりも厳しい事を言ってきました。

 

昔はやんちゃもしていて、知らない人からするととっつきにくい所もあったかもしれませんが、親しくしていた私は彼の優しさを知り、その優しさに救われ続けた1人であり、そんな彼の優しさを知っている事を誇らしく思ってもいました。

 

こうして自分の過去にも一区切りつき、N君からの厳しい一言で気持ちが切り替わった私は翌日、私は朝のローカル線で入社前研修へと向かいました。

 

駅には大学を卒業して帰郷したY君がお父様と一緒に来ていて私を見送ってくれましたが、4年前に上京する時のような昂揚感とは真逆なもので、いよいよ社会へ飛び込むのだという緊張と悲壮な覚悟を感じながらの出発でした。

 

この日の昼から地方自治体が運営する研修施設のような所で5日くらいだったと思いますが、入社前研修が行われていく事になります。

 

つづく

 

拙い個人的な想い出を最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。