大塚平安教会の11月最初の礼拝は召天者記念礼拝でした。礼拝後、厚木霊園に行って墓前礼拝を行いました。
墓前礼拝において話しました聖書箇所はフィリピ書の3章20節です。
「しかし、わたしたちの本国は天にあります」と記されています。
私達の本国は天にあるとはどういうことでしょうか。
一つは「私達は神の子だということです。」
私達には地上の親がいます。私達は誰一人例外なく、私達を産んでくれた親がいる、そして育ててくれた親がいるのです。
ですからいわば、「親の子」であり、あるいはこの時代の、この社会に誕生し、この時代、地域の価値観の中で育てられますから、「時代の子」と言うことも出来るでしょう。
ですから私達の心の中は、幼い頃から親から受け継いでいる影響と、この時代の学校教育や環境、しきたりと言った価値観で満たされているとも言えるのです。
しかし、多くの場合、そのような心が私達自身を本当の意味で解放し、解き放ってくれることはありません。
私達が何気なく話す口癖や、いつも何かのパターンにハマっていくかのように思われる行動も、あるいは日頃どうしてこうなるのだろうと思ってしまう、自分の気になる性格も、あたかも、このことは当前のことと思ってしまうほどに親やこの時代から大きな影響を受けているのです。
そして、いつの間にか、その心が自分を縛って、本当の自分を見失ってはいないでしょうか。
あ~、自分は自分を見失っていたかもしれない、と思うなら、その時にこそ、「私達の本国は天にあります」と言う言葉を思い出しましょう。
その意味は、私達は本来「親の子」でもなく、「時代の子」でもなく、「神の子」とされているということです。
思いきって親替えをすると本当の自分に生きることが出来るのです。
「神の子」とは、親の価値観や、時代の価値観から解放され、神の価値観の中で生きられるということです。
神の価値観とは何か、それは「そのままで大丈夫」ということです。
親も社会も、この時代も認めてくれないと思っていたあなた自身の価値観を、しっかりとそのままで受け止めてくれる方がおられることを知るのです。
その方の名はイエス・キリスト。
私達は生きて行くだけで傷つくこともあり、あるいは傷つけることもあります。
時には打ちのめし、打ちのめされるのです。
そして、多くの場合、どちらの場合も痛みが伴うのです。
心が苦痛でうめくのです。
もうそんな価値観の中で生きなくていいよ。
あなたは、そのままでいいよ。
だから大丈夫だよ、なぜなら、あなたの本国は神の国にあるのだから、そう言って生涯伴って下さる神により頼み、神の価値観の中で、力を得て、過して参りましょう。
しかし、私達の本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私達は待っています。(フィリピの信徒への手紙3章20節)
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