皆さんお元気にお過ごしでしょうか。
先日の礼拝で「少しのものに忠実に」というタイトルでお話しました。
あなたにとって「少しのもの」とは何でしょうか。
私は、「幸せ」ではないかと思いました。
例えば独身であれば、是非、生涯の伴侶をと願うことでしょう。一人よりは二人でと思うものです。
お相手が現れて、神様の前に誓いを立て、結婚生活が始まります。
願いが成就したわけですから、最高の幸せと感じながら過しているのかと思うと、現実は案外そうでもありません。
結婚しても子どもが授からない夫婦もいれば、授かる家庭もあります。
時として授からない二人の願いはどうして私達には子どもが授からないのだろうかと、結婚した喜び以上に、子どもが授からない寂しさが上回ったりするのです。
一人よりは二人、二人よりは三人でなければと思うのです。
それなら子どもが授かったお二人は幸せかというと、子どもの育て方などで、いつの間にか意見が食い違ったり、夜遅くまで夫が帰って来ないので、子育てに疲れ、心身共に参ってしまうお母さんがいたりします。
そして思うのです。「あ~どうして私のところには幸せが来ないのだろう。」
読んでいる皆さんの中にはおられないと思いますが、世の中には、なぜか幸せが自分をすり抜けて他の人のところにはやってくる、でも、私のところは通過してしまうと感じている方、案外多いのではないでしょうか。
それほど、「幸せ」とは感じにくいものだと思うのです。どうして感じにくいのでしょうか。
それは、今自分に無いものを求めるからではないでしょうか。
独身の人は、独身ならではの人生の歩みが出来ます。
自分の人生設計に集中する良い時期でもあり、また、ダメなら何度でもやり直す事も出来、思いきった冒険が出来るのもこの時期でしょう。
結婚した二人は、神様が「この人」として、巡り合わせて下さった最高のお相手です。
その二人はどんな試練がやって来ても、しっかりと乗り越えていける力を持っているはずです。
二人のより充実した生活を生ききることは、何よりもの幸せではないでしょうか。
子どもが授かるなら、それもまた大きな幸せです。
幼子の誕生の場面を思い起こす時、例え少々手のかかる子どもでも、それ以上の幸せがたっぷりと与えられていることを理解するでしょう。
みなさん、幸せはあなたの手の中にしっかり握られています。
つい、これっぽっちと思う、小さいと思う事柄の一つ一つに、最高の幸せを見いだせる人は、生涯幸せに生きていくことができる人です。
そして、あなたがその一人なのです。
「命を愛し、/幸せな日々を過ごしたい人は、/舌を制して、悪を言わず、/唇を閉じて、偽りを語らず、悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めよ。ペトロの手紙一3章10節
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