イエスはヨハネが捕えられたと聞き、ガリラヤに退かれた。(マタイによる福音書4章12節)
サロメというオペラがあります。
リヒャルト・シュトラウスという人が作り、1905年12月9日に初演されたそうです。パソコンで調べたら、そう書いてありました。(笑)
でも、それから大体100年なんですね。連れ合いはオペラ鑑賞が趣味なので、多分、見たことがあると思いますが、私はありません。(笑)
お金も無いし(笑)
でも、内容は分かっています。聖書の話だからです。
洗礼者ヨハネは、ヘロデ王が、自分の兄弟のフィリポの妻だったヘロディアが美しかったのでしょう。多分。??
二人は仲良くなって、ヘロデとヘロディアが結婚するのです。ドロドロですね。
そのヘロディアの連れ子が「サロメ」という名前で、ヘロデの誕生日に、サロメが妖艶な舞いを踊ったことに、嬉しくなったヘロデ王が好きなものをあげようと言ったら、お母さんが知恵を付けて、「ヨハネの首」を下さいと言わせたのです。
約束したヘロデ王は、止むなくヨハネを処刑して、ヨハネの首を持って来たというとって~も、恐ろしい話しです。
ちなみに、「サロメ」という名前は聖書にはありません。
なんで、こうなったのかというと、洗礼者ヨハネが、ヘロデとヘロディアの結婚は神の思いに適っていないと非難したからなんですね。
民主主義とか、言論の自由が無い時代に、支配者に意見するなんて命がけですよ。
ましてや非難、糾弾なんて、とんでもないことですよ。
私たちは、色々あるにせよ。良い時代に生まれてきたのだと思いますよ。多分。
非難されて、怒ったヘロディアとヘロデはヨハネを捕えて、牢にぶち込こみました。
その話しをイエスが聞いて、自分も「やばいかも」と思ったのでしょうか?
ガリラヤへ、自分の田舎、故郷に退かれたというわけです。
ヨハネとイエスは従兄か、親戚だったと思われますから、イエスも目を付けられる可能性はあったと思いますよ。
こんなところで捕まってしまったら終わりです。
神様の御計画が全く遂行されないまま、お終いになってしまいます。
そうならないように神様の配慮だったのかもしれません。
前進する「勇気」は凄いと思いますが、私は撤退する「勇気」はもっと凄いと思います。
ましてや、命がかかっている場合など、雪山や冒険などでは、撤退か前進か迷いが生じる事もあると思います。
人生もそうですよ。時期ではない、と判断したなら「撤退」もありえますよ。
大切なことは、どちらにしても、悩みすぎないことです。
今の時代、悩んでいる人多すぎです。一年に三万人以上も自死しているんですよ。一日100人程ですよ。一時間に3人自死しているんですよ。
皆さん、早まらないで、「悩んだら教会へ」。死んじゃダメヨ。撤退したっていいんだから。ネ