先日、地域の牧師会が行われました。
色々と話し合われましたが、やはり最大の課題は、どうすれば教会に多くの方々がやって来られるであろうかという問いかけでした。
牧師としては、最大の関心事と言ってもよいのです。
もっと教会の前に、お寺や神社のような、広い場所があると人が集まってくるのではないか?
玄関をいつも開放しているのかどうか?
キリスト教の言葉は専門的すぎて、分かりにくいのではないか?
もっと教会以外のところでも聖書を学ぶ機会がをふやしたらどうだろ うか?
まあ次から次へと、意見が出されました。
みなさんが真剣に考えている証拠だろうと思います。
私も、幾つか話しをさせていただきましたが、本当の思いをついに話す思いにはなれませんでした。
どうしてか?
私は最近、経済に関する本を読むようになりました。
私にとっては初めての分野と言ってもいいかもしれません。
牧師の働きに経済の学びがどう関わりがあるのだろうか、などと思っていた傲慢さから、全く無知な状態から学び始めていますが…
読むほどに、どの本にも書かれてあることは、自分が良いと思ったものを提供しても、相手が良いと思わなければ、経済は成り立たないということです。
つまり、経済とは、自分の立場から物事を考えるのではなく、相手の立場から物事を考え、お金や品物を流通させなければ上手くいかないということが記されています。
当たり前のようにも思いますが、教会というところを考える時、「隣人愛」を一生懸命に唱えながら、どこまで行っても、自分の立場から物を言っているように思えてなりません。
自分の立場というより、神様の立場を粗末にすることは出来ませんから、人が望むような神様を作り上げることは出来ません。
どうしても神様が望まれる生き方を、教会は提供し続けなければならないのだろうと思います。
そう思いますが、果たしてそれがしっかりと提供出来ていて、受け取る方々がそれを喜んでいるのかと、自問自答しなければならないと思うのです。
教会の喜びではなく、人々の喜びと、神様の喜びが一致するように教会の方向を向けることが大切だと思います。
やりがいがあります。でも、そうやっていこうと思います。
だって沢山の皆さんの笑顔のためですから。頑張ります。
互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。(ローマの信徒への手紙13章8節)