イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。(マタイによる福音書4章7節)
私が普段持ち歩いているバックの中に、大抵「NHK」の語学教本が入っています。
今も「フランス語ラジオ」の本が入っています。(ただ入っているだけです。(笑))
振り返ると、恐らく30年以上に亘って、NHKさんには色々と献金(笑)してきました。
丁寧にテープまで購読していた時期もありました。
これまで購入したテキスト代金を考えると海外旅行分位にはなるのではないでしょうか。
時間とお金を随分と使いましたが、一体どこまで身についたのか?
殆ど実りは無かったというのが正直なところです。
でも、趣味と思えば(笑)安いかもしれません。
どうして、実りが無いのか?
考えますと、そんなに難しくはないですね。「真剣ではないし、本気でもないからです。」
例えば、牧師になりたい、とか、この方と結婚したい、というのは「真剣」でしたし、「本気」でしたから成就したわけで、その位本気にならないと、結実しない、ということなのでしょう。
「あなたの神である主を試してはならない」(申命記6章16節)この言葉を読んで思うことは、「本気じゃないけど、実ってくれないかなぁ」と願う、そんなことじゃないかと思うのです。
自分の努力とか忍耐とか、真剣さは、横に置いておいて、「神様、どうか、一つ上手くやって下さい」と願うようなこと。
それが、「主を試してはならない」ということではないかと思うのです。
もの事は、取り組んだ通りの、その結果が表れます。自分が蒔いた種の通りの、実りとなるということでしょう。
また、話が横道かもしれませんが、最近の若者の「『悩む力』が衰えた」と言われます。
(姜尚中「悩む力」参照)「衰えた」というか、具体的な課題の解決能力が弱くなっている現象のようです。
行き詰ってしまうと、「止めるか、引きこもるか、暴走するか」ウ~ン。
若者に限らず、そんな人が増えていると思います。
ポイントは、「行き詰る」まで、何もしないでおく、見ないふりしておくという点です。
そして、誰かがそれを解決するのを、なんとなく期待する。
そんな人が増えているのではないかと思うのです。
政治家なんかも、そうだと思いますよ。「決められない政治」良く聞く言葉じゃないですか。
気持ちの中には「誰かがなんとかしてくれないかな」という思いです。
これこそ「主を試す」ことではないでしょうか?
だから皆さん、今回は投票いきましょうね。(笑)
絶対絶命の神殿の屋根のてっぺんで逃れようのない状況で、尚、むやみに悪魔の甘い誘惑にのらず、「神に信頼しつづける安心」を守り続けたイエスの姿を、改めて見習いたいものだと思うのです。
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