次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、(マタイによる福音書4章5節)
神様はいるかどうか、わからないけど、「悪魔はいる」と信じている人っているんじゃない?
そうじゃなきゃ、こんな社会が出来るわけないもの、悪魔の存在には納得だな。
これじゃ、ちょっと悲しい人生かもね。
私も悪魔の存在について、実は全然知りませんけど (笑)、サタンとか、デビル、とか言われていますね。
旧約聖書のヨブ記という個所に、サタンが出て来ます。
ヨブという立派な信仰を持っていた人がいて、その様子を神様がニコニコ(*^_^*)しながら、天から見てたところに、
サタンが「ヘッ、ヘッ、ヘッ、」(爆)と笑いながら(多分)近づいて来て、「神様~、ヨブがあんなに信仰深いのは神様が可愛がっているからですよ。ちょっとイジメたら神様を呪うようになりますよ。ヘッ、ヘッ、ヘッ、」のように話しかけるんですね。
そう言われると、神様も面白くないから、「そんなことは無いはずだ。なんだったら、お前なんかやってみる」と、すっかりサタンの手口に乗ってしまうんです。
シメタと思ったサタンは、ヨブの、家族や財産を一瞬にして取り去ってしまうんです。そうしたら、ヨブはなんと言ったのか。
「私は裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。」
と言って、神に祈ったというのです。結構、読むと泣けますよ。
ということで、昔からサタンは神様の敵のようになっていました。
でも、サタンも神様が造られた天使なんですね。
ガブリエルとかミカエルと一緒に造られたんだと思いますよ。
天の使いの一人だったんです。
でも、いつの間にか神様の「敵役」という配役が与えらてしまって、ちょっと可哀そうな感じもします。
さて、サタンよりもっと怖いのは「誘惑」ですよ。
今日の聖書箇所にも「連れて行き」という言葉があります。
誘惑は、自分から行くというよりも、呼びこまれるんです。
夜の繁華街を歩くと、沢山の怖そうなお兄さんが「呼び込み」ます。振り払うのが大変なくらいです。
でも、酔いすぎだったり、ちょっと懐が暖かかったり、嫌なことがあったり…。そんな時は、お兄さんの言葉、結構「誘惑」ではないでしょうか。
「誘惑」はある時として、自分の意志を越える力を発揮します。
その時、自分を見失い「誘惑」に連れていかれるんです。多分「依存症」というのはそういうことだと思います。
みなさん、「誘惑」はこの世に数々あります。でも連れて行かれないように、お互い気をつけましょうね。