イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。』と書いてある。」(マタイによる福音書44節)




世界の人口を70億人として、その凡そ半分の人達が十分な食料を得られていないと言われます。


そんなことを思うと、今日の聖書箇所はイエスの何か「冷たさ」を感じる言葉のようにも読めますよね。ドンッ


でも、そうではありません。


この言葉は、悪魔の誘惑の言葉に対する答えなんです。


イエスが旧約聖書の(申命記83節)の言葉を用いて誘惑から逃れようとした言葉です。


ですから、イエス自身が、自分は自分の為に「石をパンに変えることはしない」、つまり、自分の欲に生きないという決意を表明した言葉です。


むしろ、神の口から出る一つ一つの言葉で生きていかないと、本当に生きていることにならないと悪魔に語りかけたのでしょう。




今日は、母親を歯医者に連れて行きました。


クリスチャンの歯医者さんです。


ふと見たら、御言葉が書かれてあるカレンダーがありました。


「私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。」(使徒言行録2416節)と言う言葉がありました。


「神に対しても、人に対しても責められることのない良心を絶えず保つ」ことはなかなか大変です。


大変ですけれど、私も、この言葉を読みながら、自分もそのように生きていきたいなぁ、と心から思いました。


自宅に帰り、家内がお昼を用意していました。母親に気づかってか、雑炊でした。


でも、まだ麻酔がきいていているので、夫婦二人で先に食べました。食べながら、ふと「この雑炊は冷蔵庫内一掃セール状態雑炊じゃないか」()と心に浮かんで、(酷い良心ですねパンチ!


妻の顔を見ながらニニヤッと笑ったら、それだけで意味がわかったらしく、「中にカキも入っているのよ」と力説していました。()



 笑いと笑顔の中で食べられた、美味しい雑炊でした。



でも、今、改めて思うのは「人はパンだけで生きるのではない」と言ったイエスの言葉の重さです。


 十分に栄養を取れない人達が人口の半分であって、残りの半分は十分以上に栄養が取れていて、更には肥満とか、ダイエットが流行っている世界があるんですよ。


日本も確実に、その最も豊かな国の一つですよ。そんな私たちの心の中では、「人はパンを食べて生きる」と思いながら…、


多くの食べられない人達のことを知りながら、毎日飽食しているとするならば、イエスは今日の言葉を、「悪魔」に対して答えたように、「私たち」に対しても問うているような気がしてなりません。



だから、冷蔵庫の物も残さず大事に食べましょうよ。(笑) お互い、食べ物大切にしながら、生きていきましょうよ。


ちなみに、我が家には電子レンジは壊れたまま、半年以上たちました。あまり、不便を感じないので、(妻談)買い替えしていません。



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