そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。(マタイによる福音書3章17節)
今、「認知症」となって、一緒住んでいる、愛する母、以前は岩手の田舎に住んでおりました。
私が若い頃、なにより帰省するのは特別な思いがしたものです。年に一度か、良くて二度しか帰れませんでしたし、二日か三日位ですぐまた都会へ逆戻りの十数年間でした。
でも、帰省すると両親がとても喜んでくれて、私もどんなにかリラックスしたのかを覚えています。
結婚前に家内を連れて初めて田舎に行った時、彼女が「あなたがこんなにも、リラックスする人だとは知らなかった」と驚いた程、身も心も軽やかになる時だったのだなと思うのです。
なによりも忘れられないのは、元気だった母親が、いつも口癖のようにして、
「近所の人に良く言われるんだけどさ~。お宅の息子さん達は4人もいて、4人とも立派に育って本当に羨ましいわ、と言われるんだよね~。」という喜びに満ちた母の笑顔でした。
その話しが本当かどうかは、良く分かりません。
でも、毎回必ず、その話しをするのです。私自身は本当に、何かこそばゆい思いと、ちょっとの自慢と、そして頑張ろうと思う、そんな力が湧いて来たものでした。
なんと息子たちを力付けることが上手な母親であろうか、といつも思っていたものです。
言葉は「力」を持ちます。
しかもその言葉が神の言葉であったとしたら…。「これは私の愛する子、わたしの心に適う者」という声は、イエスにとって、どれほどの喜びと、嬉しさを感じる言葉であったでしょうか。
その言葉を持って、イエスはこの世の人々に神の福音を宣べ伝えたに違いありません。
そして、「私の愛する子」と言う言葉をもって、イエスも、人々に、そして、現代を生きる私たちに、「あなたも神の子なんだよ~」と力強く聖書を通して伝えていると思うのです。
そんな私たちなのに、もしかしたら、あなた、「私ってダメだ~」なんて思っていやしませんか?
「つまらない人間だ」と思ってやしやせんか?
そんなこと思ったら、神様に申し訳ないですよ、本当。だって、神様は私たちにだって、「私の愛する子、私の心に適う者」とそう呼びかけて下さっているのですから。
だから、大丈夫、心配ないですよ。
今日は日曜日で、朝から礼拝、集会と続いて、今、この文書を書いていますが、明日も朝から全開で頑張ります。皆さんも、素敵な一週間をお過ごし下さい。
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