イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのをご覧になった。

(マタイによる福音書3章16節)



星新一の本が好きでした。「ショート・ショート」随分読みました。


記憶に残る話しがあります。


ある人が、自分の家の庭に穴を見つけて、ためしにゴミを捨てたら、どこまでも落ちて行ったというのです。喜んで、その人は、なんでもいらない者をその穴に捨ててしまいます。


穴はなんでも吸い込むようにして受け入れます。ついに、その人は、ゴミ処理の会社を設立して、不要なゴミや危険なゴミまでも、受け入れ、どんどん穴に投げ込むのです。


楽な仕事です。なにしろ穴が全て解決するのですから。

 

 それから数年経って、ふと空を見上げた時、穴に一番最初に捨てた、ゴミが自分のとこへポツンと落ちて来て、続いて、二回目に捨てたゴミが落ちてきた…。という話です。叫び


その先、どうなるんでしょうねェ。恐ろしい話しです。叫び


思い出します。


 自分がしたことは、自分に帰って来る。イエスは、「蒔いた種は、自分で刈り取るのだ」と教えました。


 私はこの言葉、本当にそうだと思っています。自分が色々な思いで、蒔いたこと、それらの結果が今となっているのだと思います。


 でも、案外そのことに気がつかない人が大勢で、人のせい、あの人のせい、先生のせい、上司のせい、社会のせいと言っている人達が沢山です。


 自分が蒔いた種は、自分が刈り取るのですよ!!


 だから、自分が何を蒔くのかが、大切だということです。


幸せを蒔きましょうよ。合格幸いや喜びを蒔いて過しましょうよ。合格


 イエスは神の福音を蒔いて過したじゃないですか。だから、天が開けて、神の霊が鳩のように御自分の上に降ってきたんじゃないですか。


福を蒔けば、祝福が実って帰ってくるのです。


 蒔くものによって、どうも、人の人生は随分と変わるようです。


昨夜、「自分はダメだ~」と思う、という人から電話がありました。


「ダメだ~と思う、種を蒔いたからですよ。ダメじゃないという種を沢山蒔きましょう」って言いました。とっても喜んでくださいました。


牧師って本当に良いですよ。神様の種を蒔き続けて生きていけるんですから、私も幸いです。


 この文書を読んでいるあなた。あなたも幸いですよ。だって、既に、神様の喜びに招き入れられているんですからね。()




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