ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」(マタイによる福音書3章14節)

 前回に、「神様」はあなたの所に来られるのですよ。と記しました。人間が神様の所に行くことは出来ません。だから、神様が到来されるのです。この出来事こそ、クリスマスの出来事なのです。合格

 でも、人は、本当に「神様が来られる」ことを望んでいるのでしょうか?


 例えば、神様が来て、私たちの本当に姿をご覧になって、裁きが始まったとしたら、一体、誰がそれに耐えられるでしょうか?

 何年か前にアメリカ人の宣教師が、英語の小説を読んでいました。


「何を読んでるの」と聞いたら、とても面白い話で、ある牧師が、もうすぐ神様がやって来るから、「悔い改めなさい。悔い改めて神様の前にしっかりとした生活をしないと、天国に入れません。」と話していたら、本当に神様がやって来られて、正しい人達を天国に連れていったというのです。


そして、残された人達の中に、なんと牧師がいたというのです。叫び


人々は牧師に聞きました。「先生、あなたはどうして天国に連れていかれなかったのですか?」


牧師は、「私は、本当のところは信じていなかったように思う」と答えたというのです。カゼ

なんということでしょう。(ビフォアー・アフター風(笑))


本当に神様がやって来て、天国に行ける人と、そうでない人を分けられるとしたら…。


 私たちは神様がやって来られることを喜ぶでしょうか?

 あまり喜ばないのではないでしょうか?


 本当は神様がやって来られるということは、怖いことなのかもしれませんね。

 ヨハネもイエス様がやって来られた時、そんな怖さ、恐れを感じたのかもしれません。

 でも、ご安心ください。ラブラブ


 イエス様はこう話されています。「わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。(ヨハネによる福音書1247節)

 

 小説などに、恐れ戦いてはなりません。


 イエスは、私たちの誰ひとりとして、見捨てられる方ではありません。イエスは全ての民を神の救いに導くために、この世に誕生されました。だから、大丈夫です。


 安心して、神様が来られることを喜びましょう。


 あなたの人生は、もう既に、神様の「安心」の中に入れられているのですよ。