『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。(マタイによる福音書3章9節)
牧師の世界というものは、結構狭いものですし、ものすごい高学歴の人や、そうでもない人など、牧師になろうと思うような人は結構「不思議?な人が多いのです。」勿論、私も含めてですが(笑)。
こういう職業って、なんだか普通じゃないでしょ。(笑)
人の前に立ってお話ししたり、「聖書」の話しをしたり、当たり前ですけれどね。
でも、私なんて、イエスの生まれたイスラエルとかユダヤ地方とかの「荒れ野」とかヨルダン川とか、まだ、一度も見たこと無いんですよ。
見たことが無いのに、見たような話をするのは結構大変です。
まあ、大抵見たことが無い人の方が多いので、大丈夫なのかなぁ?
でも、それ位は赦されるとしても、例えば、「神学校」って、どこかの大学の先生だった人とかが、牧師になると決心して入学したりして、突然同級生になったり、東大卒の人とか、大学教員とかが普通にいたりして、自分も、その仲間(まあ、そうなんだけど)のレベルのように勘違いしている学生って時々いたりするんです。
時々、私たちの周りにもいますよね。「僕の遠くの親戚には芸能人がいる。とか、有名人がいる」とか自慢している人。
そして、自分もそのメンバーのように言っている人。
本当は全然、関係無かったりして(笑)。
それを見透かされているとも知らずに、結構自慢している人っているでしょう。ちょっとギリギリ~。
何を言いたいのかというと、今日の聖書の箇所もそう言う事なんですよ。
アブラハムと言う人は神様に人生をまかせて、75歳で神様が言われた場所に向かって旅に出て、そこからイスラエルが始まったと言っても良いのですが、(詳しく知りたい人は創世記を読んでみてね!)
イエスの従兄のヨハネの所に来て、集まった多くの人達は、自分たち、イスラエルの民は、アブラハムの子孫であって、だから特別に神様から選ばれている民。だと思っていたのです。
つまり、自分たちの立派な家系図を自慢しているようなものです。
ヨハネは、そんなものは役にたちはしない。あなたの生き方がどうか。それが大切なんですよ。って教えている場面なんですね。
親戚に偉い人がいると自慢したくなるものです。でも、そんなこと以上に、あなたはどうか。読んでいるあなた。そこが大切なことだと思いません?
精一杯、頑張って生きましょう。私も頑張るよ~。