ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。」

(マタイによる福音書37節)

 

 石原都知事が辞めましたね。


 あの人って随分勝手に生きて、自分がやればなんでも成功するとでも思っているんでしょうかね?


 でも、もし80歳でなくて、50歳位であのくらいの事を言っていたら、今の時代、もしかしたらちょっと危険だったかもしれませんね。

 どう危険かというと、今の日本は「ヒーロー」を求めている時代だからです。


 戦後の時代は、国の強い指導者としてのヒーローを求めていませんでした。


 誰が総理大臣になろうと世界は変わらない、「国民、皆で頑張りましょう体制」がずっと続いていて、そして、それが上手く機能していたんですね。

 

だから誰か、ヒーローをって願っていたわけではなかったんです。つまり、まあまあ上手くいっていたということです。

 ところが、国の経済が傾いて、いつの間にか借金だらけとなって、経済的不安や、教育、福祉と色々な歪を抱えるようになって、それが直接的に国民に、例えば税金のような形で影響するようになって来て、悪循環が繰り返され…。


 そうなると、国民は政治家に期待するようになるんです。ところが殆ど名誉職のような議員さんだけで数十年もやりくりしていた日本の政治家、本当の危機に対応する能力なんかありませんよ。



 選挙の時だけ、「盆踊り」や、「お祭り」や、祝いの席やらに一生懸命顔を出して、自分に投票してくれる人だけに媚っていたんですから。

 本当の危機、例えば、昨年の大震災と、津波と原発事故、誰も想定していなかったでしょ。


 なんだか国民、みんなで反省しましょう、みんなで負担しましょうってなっているでしょ。


 本当はね、オカシイんですよ。だって、そう言う時の為に、政治家が政治家としているんですからね。


 国の問題ですけれど、国民の問題は、国民が選んだ政治家の問題なんですよ。

 でも、誰もリーダー性なんかないですよ。だって、これまでそれで十分勤まって来たんですから。

 

 ファリサイ派とかサドカイ派とは、簡単に言えば、既成政党のようなものです。


 ヨハネは、橋本さんのような人気者です。


 そんな人気者のところに、既成政党がはせ参じているというのがこの文章なんですよ。

 自分たちだけは生き残って、国民の味方ですよ~と言いたいが為にですね。いつの時代も結局同じことかな~。

自分の命を捨てても、人の為にって、なんと難しいことなんだろうって思わされる牧師でした。