ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。

(マタイによる福音書3章4節)

カトリックの神父に話しを聞いたことがありますが、例えば上層部から、移動の命令(か打診か?)があって、それを受けると、大体30分位で身支度が完了する、らしいです(人によるのかもしれませんが)。


そんな話しを聞いて驚きました。


自分のものを殆ど持っていないということですよね。


比較するわけではありませんが、私には妻もいれば、子どもいて毎日が世俗にまみれて、あ~ラララララ、どっちの生活が良いのやら~。(笑)

ちなみに、カトリックは神父(妻帯NG)と言って、プロテスタントは牧師(妻帯OK)と呼びます。役割はあまり変わりません。キリスト教ミニ知識でした。

大体、人間って「お金と権力」が付いてくると、ダメになるって思うんですけど、どうでしょう。


長~い、教会の歴史を振り返ってみても、教会が政治権力を握ったり、私腹を肥やした時代は宗教が地に落ちているんですね。


そういう時代の、聖職者って結構ロクでも無い聖職者で、日本の歴史でも、お寺が権力を握ってしまうと、政治との癒着とか、お金のやりとりとか、良く時代劇でやっているじゃないですか。


だから、そういうモノとは縁のない(であろう)「一休さん」のようなお坊さんが、人気になるんだと思うんです。


私も、子どもの頃、良く読みました。汚い袈裟を着た一休さんがお葬式に行ったら、入るなと言われて、着替えて、立派な袈裟を着て再び言ったら、丁寧に扱われて、袈裟を脱いで、「みなさんは、これを拝みなさい」と言ったとか…。

人間ってそう言う所ありますよね。


とはいいながらも、服装がその人の気持ちに影響を与えるということもあると思います。


やっぱり、ちゃんとした服装をすると、ちゃんとした気持になるし、カジュアルだと、リラックスするというのも良く分かります。

洗礼者ヨハネは、荒れ野で過していたのでしょう。らくだの毛衣、腰に革の帯、これ以上無いと思えるほどシンプルです。殆ど原始時代風です。食べ物もいなごと野蜜。必要最小限という意味かもしれません。

人間、「権力とお金」だけではなく、ブランド物とか、何か、「物」に執着するのも、どんなものでしょう?なんでも、執着し過ぎると、あまり良いことが無いように思います。お互い、気をつけましょう。