「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。

(マタイによる福音書3章2節)



「悔い改めよ。」


 聖書に書かれてある預言者は、こんな言葉を、しょっちゅう、人々に告げます。

 「預言者」の意味ですが、「予言者」とは違いますよ。

「予言者」って、ノストラダムスとか、あとあんまり知りませんが(笑)

 なんか「将来にあ~なるよ」とか「こうなるよ」とか、将来のことを分かっているふうにして、みんなを驚かしたり、不安にさせたり…

 占いの人は、結構逆に安心させたりするのかなぁ、


 スゴイ、昔に友達二人で、夜、占いの人に、占ってもらったことがありました。そうしたら「二人共、将来は成功しますよ。」ですって。

その友達、それから数年後、病気で死んでしまったんですよ。なんだかね~。


 聖書でいう、「預言者」は、神様の言葉を聞いて、その言葉をイスラエルの民に向かって話しをした人ということなんですね。だから、自分が考えて話しをするのではなくて、神様から言葉を預かって、話すということです。


 だから、話したくないことも話さなければならないし、話したい話しは話してはならないとか、言われたり、結構辛い思いばかりしていたのが預言者なんですね。叫び


 何しろ、旧約聖書の神様って、結構厳しいんですよ。私はあまり好きになれない。もし、旧約聖書だけだったら、それは「ユダヤ教」ですから、私はやっぱり「ユダヤ教徒」にはなれませんね。


 新約聖書になって、イエスが現れて、なんだか、愛に溢れ~る、優しい神様になってくれて、なんだかホッとしますね。ラブラブ


 それで、「悔い改めよ。」って言葉はですね、洗礼者ヨハネが現れて言ったんですよ。ヨハネはイエスの従兄ですよ(詳しくは、前回参照して下さいね)。


 「悔い改めよ」って結構怖い言葉ですよね。だから、ヨハネはイエスが登場する前の、最後にして最大の預言者だとも言われているんです。

 

 何を「悔い改めるのか」、みんな~、神様から離れているよ~、だから、もっと「真面目」に生きなさい。ってことですよ。


 今の時代、神様を信じていない人の方が多いって言われていますけどね、そうかなぁって思いますが、でも、初詣って凄い人数じゃないですか。やっぱり人は「不安」を抱えていますからね、最後は「神様~」ってことになるようにも思うんですけどね…。

 

 でも、もっと問題なのは「真面目」に生きるってことですよ。最近のテレビ酷すぎません?私、「相棒」って結構好きですけど、「相棒」のほうが安心して見られますよ。それよりも怖いニュースって聞きたくな~い。って思いません??


 やっぱ、人間、どこかオカシクなって来ているって思うの、私だけじゃないと思いますよ。みんな、もっと「真面目」に生きようよ。チョキ


 安心の国にしようよ。それが神の国なんだからさ。「真面目」に生きたい人、たまには教会に来てみてね。いつでも待ってま~す。