ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。(マタイによる福音書2章23節)


 振り返ってみると、私は色んな所に住んで来ました。


 生まれたのは岩手県で、そこで育ちました。だから故郷と言えば、故郷ですが、借家暮らしでしたから、そこに何か財産があるわけでもありません。

 それから、埼玉県熊谷市、栃木県宇都宮市、戻って、埼玉県浦和市、東京都小平市、そして、池袋の隣の椎名町、目白、そして、戻って、岩手県花巻市、更に戻って東京都町田市、今は神奈川県、まあ、振り返ると色んなところに住みましたね。


 これからもきっと変わるでしょうね。楽しみです。合格


 でも、それぞれに特別な印象はありません。印象が無いというより、結構、慣れるものです。

 田舎にいる時は、田舎の人として、都会にいる時は都会の人として、なんとなく、その雰囲気に染まるものだと思いますね。


 楽しかったのは、宇都宮とか結構楽しかったですね。若くて夢も沢山あって、その頃に「お酒の味」を覚えました。美味しいと思ったのはその頃ですね。


 イエスの故郷はナザレという町ですが、私は行ったことがありませんからわかりませんが、「町」って結構大きい感じがしますね。どんだけ大きかったんでしょうか。


 多分、数千人とかじゃなかったでしょうかねェ。


 長男として生まれましたが、お父さんのヨセフの大工の後を継がず、神の国の福音宣教に生き続けました。


 「「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」と言いながら、宣教されましたけれど、この言葉、私には福音です。


 だって、今でも私、自分の財産、何も無いですよ。「何も無い」って若い頃は苦しかったですよ。


 でも、今はなんだか素敵だと思っています。


 だって、イエスなんか枕するところも無かったんですよ。そう思うと、私は何でもあるって思っちゃいます。


 家族もいますし、認知症の母親もいますし、まあ~、世話のかかること。((笑)


 でも、それもまた、幸せですよ。人と比べると、人は喜んだり、不幸だと思ったりするものですが、何も比べる必要なんかないでしょう。比べて、どうするんですか?


 

 それよりも、ナザレなら、ナザレで、つまり、あなたの与えられた場所で、精一杯生きて生きることですよ。

 

 結構幸せは、身近な所にあるもんだと思うんです。そんなことをイエスは人々に伝えたかったんじゃないでしょうか。


 お金なくても結構生きていけますよ。私の財布には最近、ずっと諭吉さんは留守してます。(笑)