言った。「起きて、子どもとその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」 マタイによる福音書2章20節
「この子」とは幼子イエスのことです。
その「命をねらっていた者」とはヘロデ大王ですね。
ヘロデ大王がいつ死んだのか。紀元前4年頃と考えられます。
そうすると、イエスの誕生はいつであったのか、そして、親子は何年ぐらいエジプトに滞在したのかしら?
と思うわけですが、「ヘロデが子どもを皆殺しにする」という事件は「2歳以下」の子どもたちでしたから、ヘロデ大王の頭では、過去2年の内に生まれた子どもを殺しておけば、イエスも確実に殺されるであろうと思ったわけですよね。
そんなことを察すると、イエスの誕生は紀元前6年か、7年という説もあり…だと思われます。
もし、仮に紀元前7年誕生であったと考えて、十字架にかけられたのが紀元33年だったとしたら、イエスは40歳まで生きていた、という説も不可能ではないはずだと思うんですけれど。誰も支持しませんねェ。
多分。
でも、イエスが一体何歳まで生きたのかなんて、謎のままでも何の不都合もありません。
どっちにしても「復活」されたわけですからね。
大切な所は、エジプトに難を逃れて、旅をした難民のヨセフ一家が、自分たちの命を狙う者が倒れ、無事に故郷に帰ることが出来る、そういう状態になったということでしょう。
故郷は良いものです。最近、パソコンが進化し、私もついにフェイス・ブックを始めました。始めましたら、生まれ故郷の古い友達とも繋がって、嬉しく思いました。
故郷はいいものです。長い間帰っていないと、本当に恋しくなります。どうしてなんでしょうか?
不思議ですね、多分、昔の記憶というものは、嫌なことは段々薄れて、良いことばかりが強調されて長期記憶の中に残るのかもしれません。
あるいは、今の様々な責任やら、家族を背負って生きている息苦しさ、そんなものからも一時期でも、開放される、そんな空気を故郷は持っているのかもしれません。
大体、今の時代は、皆、責任を負い過ぎですよ。負いきれない人は、心が病んだり、暴れたり、引きこもったり、全部、自分で抱えてしまっている人が多いんです。
だから、教会はもっと、怖がらないで前面に出なくては、と最近、思い始めています。そう、そんなに自分で抱え込まないで…、抱え込みすぎると良いことはありません。その抱えているものを神様に任せればいいんです。だって、イエスは「私のくびきは負い易く、その荷は軽いからである」って言っているじゃないですか。
大丈夫、いつでも、どんな状況でも、神様はあなたを見捨てたりしません。
だから、大丈夫…じゃない、あ・な・た 是非、教会に行って見て下さい。