ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、(マタイによる福音書2章19節)
「ヘロデが死ぬと」… ヘロデ大王と呼ばれるこの人は、イスラエル周辺にヘロデ朝を築いた王様で、在位は紀元前37年~紀元前4年と考えられています。
私達が用いているカレンダーは、今は2011年ですが、その始まりはイエス・キリストの誕生に遡ると考えられています。
つまり、今年はイエス・キリストが誕生してから2011年目を過している年と考えられているわけです。
日本人は殆どそんなことは知らずに用いているかもしれません。日頃使用しているカレンダーそのものも実は、キリスト教的伝統の流れて完成されたカレンダーです。
江戸時代までは太陰暦を使用していましたが、明治となって開国し、太陽暦を基準とした時、その太陽暦は、キリスト教のカレンダーであったと思います。(このあたりはあまり詳しくありませんが…、どなたかご指摘頂ければ感謝です。)
聖書に戻りますが、つまり、ヘロデ大王が死ぬまで御子イエスはエジプトにいたわけですから、歴史的には、紀元前5~7年位に御子の誕生があったのではないか?と推測できます。
このあたりは学者の間でも数年の隔たりがあり、専門の学者の意見に聞かなければなりませんが、私は、紀元前7年頃にイエス様の誕生があったのではなかろうか??
と考えています。そしてエジプトに逃れ、ヘロデ大王が紀元前4年に死んだあと、主の天使がエジプトにいて、潜んでいたヨセフの夢に現れたものと思われます。
そして、どのように言ったのかは次の20節に記されていますので、その件については20節に回しましょう。
今回は「主の天使」という言葉です。私たちは通常「天使」をどう考えるでしょうか。
英語ではエンジェルと言う言葉で殆ど日本語となっています。フランス語ではアンジュ、こちらも美味しそうなケーキ屋さんとかの名前で時々町で見かけますね。
天使、かわいらしい雰囲気を醸し出すイメージですが、天使とは人間ではありません。けれど、勿論神様でもありません。それでは何でしょうか?
聖書の中には時々「主の使い」とか「主の天使」が登場します。これらの方々はどんな方々なのでしょうか?
聖書ではガブリエルという名前が登場しますし、話がかなりずれますが「セイント・お兄さん」というマンガには随分天使が登場してくるようです。
天使とは人間以上、神様以下のようなニュアンスがどうしてもあります。
キリスト教でもどのように捉えるのか、時代時代においても違ってきているのと考えます。
ただ、私が一つ言えることは、天使も人間と同じように、神様の被造物であるということです。
私は天使の存在を否定するわけではありません。しかし、天使が存在しても、神の被造物として、神様に造られた者として存在すると考えます。
そういう意味ではサタンも天使の一人です。私たちは「神様」に対立するのが、「悪魔」あるいは「サタン」と考えがちですが、サタンも神様の被造物であり、本来天使の一人であったと考えます。
それがいつの間にか、神様に対立する立場が与えられてしまい、聖書においてもサタンとイエス様が対立する形でサタンが登場してきます(4章で詳しく説明する予定です)。
けれど、サタンの力は、神の力に遠く及ばないのは確実です。なぜならサタンもまた、神様に造られたものであるからです。
もし、占いや、魔術のようなものを用いて、「サタンがあなたの背後にいます」などと言われても、心配する必要はありません。なぜなら、サタンは神様によって造られたものであり、その力は、主なる神に全く及ばないからです。
そのことを心に刻みつけて下さい。余計な不安から解放されますよ!
正しい宗教感というのは、まやかしや、心を操作しようとする力に打ち勝つことが出来るのです。
そのことが、あまりにも現代は軽んじられてしまっていて、それだけに宗教感が育たないで過しているのが私達なのです。
科学的進歩を知りながらも、依然として、占星術や、まじないに心動かされるのは、人間の弱さのあらわれでもあり、その弱い存在として人は生きているといういことに気が付いて欲しいと思います。
くれぐれも、御用心あれ!