みなさん、お元気にしておられるでしょうか。


教会の教会員に経営のコンサルタントをされておられる方がおられます。私の人生の大先輩です。先日、その著書を頂きました。アップ



 正直、経営に関する書物は殆ど読んだ事がありません。一体どんな役に立つのだろう、そんな思いで読み始めましたが、それが大変面白い、面白いというより、まさに「目からうろこ」が落ちるような思いが致しました。

 

 沢山の事が記されてありましたが、その一つに「会社はつぶれたがっている」という言葉がありました。


 例えば、鉢植えの木は、自然の形をしていますが人間が手をかけなければすぐに枯れてしまいます。


 私の父が盆栽が好きで、父の若い頃、200以上もの盆栽の世話をしていました。朝に、昼に、夜に、水やりから、手入れから、病気は無いか、丹念に世話をしていました。


 私も子ども心にまねをしてみましたが、少しも面白くありません。ほっておいたらすぐに枯れてしまったことを思い出します。そのように「会社」もほっておいたらすぐに枯れてしまいますよ、と言うのです。


 というより、「会社はつぶれたがっている」というのです。倒産のエネルギーがあるというのです。ビックリしました。

 

 昔は造れば売れた時代があった、確かにそういう時代もあったけれど今は、人の手を尽くし、育て、鉢植の木を育てるように、会社を育てなければならないというのです。


 読み進みながら、人生も全くその通りではないかなぁ、と感じました。人生は神様が導いて下さる。イエス様も「思い悩むな」といつもおっしゃっているじゃないか、だから、必要以上に「思い悩む」ことなく信仰を持って生きて行きましょう、と説教でも話します。


 その通りだと思います。私たちは「主なる神」の御力を信じて安心して生きている信仰者です。だから私たちはは「神様によって育つはずだ」そうどこかで勝手に思っています。

 

 でも、本当にそうでしょうか。大切なことは「思い悩ないほどに」私たちは神様に完全に依存し、信頼し、頼りきっているのだろうかと、問われているように思います。


 むしろ、そのような信仰にまで私たちは至りたいと願っているというのが本当のところではないでしょうか。


 あるいは「思い悩まない」程に体と心を用いながら真剣に生きているのかと問われているのかもしれません。

 

 鉢植えの木が栄養と水と太陽の光で成長するように、私たちの人生も、神様の祝福と豊かな人間関係の交わりを通して、弛まぬ奉仕を惜しんでいてはいけないのだなぁ、私自身心に染みるように感じます。

 

 人生はチャレンジです。チョキ


どのような人生を神様によって与えられているのか、それはあなたが決めていいのです。


 それが神様の思いと必ず重なっていくのです。


 皆さん、人生これからです。また、お会いしましょう。



「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」 コリントの信徒への手紙一 3章6節


第7回「人生これからメッセージ」はこちら


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