占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。(マタイによる福音書2章13節)


 

 東方からやってきた占星術の学者達は、喜びに満ちて幼子を礼拝し、宝物を捧げ、そして、「ヘロデのところへ帰るな」という夢のお告げを信じ、別の道を通って自分達の国へと帰って行きました。


 彼らは、もう既に目的を達し、ヘロデに再び会う必要もありませんでしたから、「夢」のお告げの通りにしたのでしょう。


 それで彼らは満足でした。

 

 「今か、今か」と待っていたのはヘロデ王でありましょう。

 

 なぜか、勿論、探しだされた幼子を亡き者とするためです。叫び


 おまけに、もしかしたら、このことを表ざたにすることを好まず、学者達の命をも狙ったかもしれません。それ位のことは容易に想像が付きます。ダウンダウン

 

 ヨセフ一家にとってみれば、知らず知らずの内に、ヘロデの軍隊から狙われ、殆ど危機的な状況に囲まれていました。あせる


 それだけに、ヨセフが見た「夢」は一刻の猶予も無いといった緊迫したものではなかったでしょうか。

 

 既に、ヨセフはマリアが身籠ったと知った時、悩みに悩み、誰にも知らせずにひそかに縁を切ろうとした時、「夢」で自分が進むべき道を示され、その通りにした経験があります。


 その時に、示してくれた「主の声」、あるいは「主の使い」が再び、ヨセフの「夢」に現れたのでしょう。


 生まれて何日もたっていない幼子を連れてエジプトへ向かえというのです。


 ベツレヘムからエジプトまで、概算ですが、直線で500㎞はあります。


 丁度、東京、大阪間位の距離です。今は新幹線で3時間を切る距離ですが、イエス様の時代にそんなものがあるはずもなく、徒歩か、せいぜいロバが彼らの交通手段です。

 

 赤ちゃんが首がすわるまで23カ月はかかります、現代でも首がすわる前の幼子を自動車に乗せることは、相当慎重にしなければなりません。


 そのような状態で、徒歩かロバ……。普通では信じられないことです。


 けれど、そうしなければ、「この子を殺そうとしている」と夢が告げるのです。ヨセフは考えている余裕もなく、旅立ちの用意をしたことでありましょう。


 一体何が起こっているのかも具体的には分からず、しかし、神様が導く将来を信じて、準備をしたことでありましょう。

 

 「子供とその母親」と言う言葉は注目に値します。その子共も、その母親も主なる神が深く、しかも直接関わりを持っています。神と直接関わりがある二人の家族、自分にとっても愛する妻と子です。


 誰とも代えられない深い関わりを持っています。自分の為だけでなく、主なる神の為にも、確かな、そして「信じて」、行動しなければなりません。


 「信仰」とは、その先に何があるのかわからないけれど、今、自分がしなければならないと感じたなら、それを行動に移させる力があります。


人は「悩み」ます。


 まるで、「悩む」ことが仕事のような人さえいます。そして、そのような人は、決まって前に一歩も出ず、変化することを好みません。



 変化しないことは安心ですが、進歩も前進もありません。

 

 だから、むしろ、考えるより、行動することです。考えてやらないなら、私は、やって失敗したほうがまだましだと思っています。


 私自身、何度も、何度も失敗しました。けれど、大切なことは「信仰」があるということです。この「信仰」が人を人として歩ませてくれるのです。


 がむしゃらに一筋に行動する人は、主の祝福に限りなく近いと私は思っています。ヨセフも今、極めて早い展開の中で、決断と行動が迫られているのです。