ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分達の国へ帰って行った。(マタイによる福音書2章12節)
東方から来た学者たちは、星に導かれて、ユダヤの王であるヘロデの所へ行き、「ユダヤ人の王の誕生」を告げました。
ヘロデも共に喜んでくれるものと思ったのかもしれません。
けれど、ヘロデの心の中は「大きな不安」で一杯になり、もしかしたら、将来、自分の立場を狙う者へと成長するのかもと思ったのでしょう。
大きな不安の中で、祭司長たち、律法学者達を集め、その幼子はどこに誕生するのかを聞きだします。
彼らは旧約聖書ミカ書5章1節の御言葉を引用して、その子はベツレヘムに誕生しているはずだと説明します。
そのことを聞きだしたヘロデは、「密かに」、学者達を呼び、ベツレヘムに向かわせます。
そしてこう言いました。
「見つかったら知らせてくれ。わたしも言って拝もう」
しかし、この言葉は、全く違った思いで言った言葉でした。
それは、出来るだけ早く「ユダ人の王」として誕生した御子の命を絶とうとした計画でした。そうでなければ「不安」から解放されないのです。
どうしても命を絶っておきたいと願っていたのです。
自分の立場を脅かす存在を忌み嫌うのは、どの時代も同じです。
今、アフリカ、リビアで起こっているカダフィー政権などは、どれだけ自分達の政権を維持するために、人々の命を奪ってきたことでしょう。しかも、それはリビアにとっては合法的なことだったと思います。
民主主義が絶対に良いとは思いませんが、専制政治、独裁政治、社会主義体制よりは、少なくとも、ずっと自由ですし、個々人発言の自由があることは大きなプラスです。
しかし、イエス様の時代、民主主義などあるはずもなく、完全な専制政治であり、王の思いに適った者だけが生きのびられる……。
そんな時代であったことは確かでしょう。
学者達が、ヘロデ王の言葉を信用して、学者達が御子に出会い、礼拝を捧げ、宝物を捧げて、更にヘロデの所へ帰ったのなら、御子イエスの命は風前の灯であったことは確かです。
けれど、ここに神の御手が働きました。「ヘロデのところへ帰るな」という夢のお告げがあったのです。
そして、学者たちはこの夢のお告げを信じました。
あの父ヨセフが、マリアとの結婚で悩んでいる時、やはり「夢」で導かれたように、学者達もこの「夢」を信じました。
そして、来た道ではなく、別の道を通って帰って行ったのです。もう、彼らの心には「ヘロデ」の存在はありませんでした。ただ、神様の恵と祝福に満たされて、目的を達して喜びの内に帰路へと帰って行ったことでしょう。
今日、キリスト教に求められていることの一つに、「礼拝の回復」があると感じています。
戦後、一瞬、「キリスト教ブーム」がありましたが、それ以来、キリスト教の立場は、日本においては常にマイノリティです。
殆ど認識さえ、されていないと言っても良いでしょう。
どうしてでしょうか。識者は多くのことを指摘するでしょうが、その中の一つに「礼拝」することの喜び、恵、祝福を、信仰者が、失っているのではないかと私は考えています。
学者たちは、星に導かれて、御子のいる場所に止まった時、彼らはその時「喜びにあふれた」と記されます。礼拝前の喜びです。
礼拝者は、礼拝前から喜びに満ち溢れる思いが本来求められているのだと思います。
その喜びを、信仰者は共有することが出来ているのだろうか。そして、自分達の宝物を携え、それを捧げて喜べる礼拝へと導かれているのであろうか。
更には、帰り路に、来た道とは違ったような、あたかも、心新たにされて、一週間の糧をしっかりと心に収め、帰路についているのであろうか。
この学者達の喜びの帰路と私たちの信仰の道が重なっているのであろうか。
深く考えさせられます。そして、恐らく、礼拝を司る牧師もまた、そこまで真剣になって礼拝に取り組んでいるのかどうかが、問われている、ということも書きくわえておきましょう。
信仰者ではない方がこの文章を読んでおられるかもしれません。
あなたの人生も、つまりは、昨日より、今日、今日より、明日と喜びへと満たされているでしょうか。
もし、そうではないとしたら、どこかでボタンをかけ違えているかもしれません。
落ち着いて、ゆっくりと、そしてこの道が正しいのか、どうか、心の奥のあなたの「本音」に耳を澄ましてごらんなさい。悲鳴をあげていませんか。あげているとしたら……。
御用心、御用心。立ち止まることも時には必要ですよ。