勉強することって…… Ⅲ


 

「どうして勉強しなければならないんだろう???」って思っている、多分多くの皆さんへ。



どうして勉強しなければならないのか、と思うその心の背景には、「やらされている感」があります、と前回は記しました。勉強にしろ、お手伝いにしろ、遊びにしたって、何か強制的に「やらされている」と思う時は嫌なものだと思います。


けれど、少し時代をさかのぼってみましょう。


子どもが法律によって、勉強することが出来るようになったのは、明治19年に「義務教育」という言葉が初めて使われてからのことでした。


当時は3年~4年間が「義務教育」の期間でした。年齢で言うと、6歳~10歳位でしょうか。現代は9年ですから、5,6年も短いですね。


羨ましいと感じますか?


それでも、その3~4年間でも全部の家庭が子どもを学校に行かせることは出来なかったと思います。


明治の初めなんて、多くのお父さん、お母さんは文字を読むことも出来なかっただろうし、文字が読めなくても、ましてや書けなくても、自分の仕事、例えば、当時の農業とか漁業は出来たと思いますし、そのようにして実際に生きて来たのです。


だから、子どもに教育を受けさせるなんてとんでもない、と、理解しなかった親も沢山いたと思います。


それよりも、家の仕事の手伝いをさせながら、生活を支えることのほうが優先されていて、そして、それが当たり前だったのです。


その後、暫くして、明治40年に義務教育は6年間となり、昭和16年には8年間となりました。


昭和16年というと第2次世界大戦の時代です。私も知らない時代ですけれど、この頃の教育は「国の為に死ねる兵隊」作りをしていていたと言っていいでしょう。戦争とはそういうものだと思います。


けれど、その戦争に負けてから、初めて現代的な「義務教育制度」が確立してきます。



昭和22年に義務教育が9年となって、(小学校6年、中学校3年)という形が登場して来ます。それでも、恐らく当時は9年も勉強したら、貧しい家庭の子ども達は就職するという時代でした。


就職していく子ども達を「金の玉子」と言ったそうです。


そのような人達の働きがあって、日本の経済は成長し、私たちはそのような歴史を超えたところで、豊かな生活を続けていくことが出来るのです。


明治時代、大正時代、昭和の初期頃、義務教育と言っても、特別強い強制力は無かったと思います。勿論、裕福な家庭は、義務教育を受けることが出来たし、更に上の学校にも行くことが出来ました。


 とはいえ、裕福な家庭でも、教育は男性がすれば良いという考えの中で、中々女性には教育の門戸は開かれなかったものと考えられます。男女格差は、はっきりしていました。



それ以上に、裕福ではない多くの家庭の子どもたちは、勉強したくとも、出来なかった多くの人々がいた時代は、そんなに「大昔」ではない「昔」なのです。

そして、もっと、もっと勉強したいと思いながらも、奉公に出されたり、家の手伝いに、小さい子どもの頃から従事しなければならなかったりしたことでしょう。



皆さん、「勉強は嫌だな~」と思っていることでしょう。でも、「勉強していれば」それで良い時代というのは、そんなに昔からあったわけではありません。ほんの60年程前から、そのような仕組みが出来上がって来たのです。



皆さんが、「勉強出来る」ようになった、その背景には沢山の「勉強したくとも、出来なかった先輩」がいることを、学校で教わっていますか?



多分、教わらないことでしょう。 私は、とってもそれが不思議です。そのことをもっと、丁寧に先生は話してあげたほうがずっと良いと私は思います。


そして「義務教育」というのはその殆どが金銭的にも国が責任を持って、「勉強出来る時間」として皆さんに提供している、ということもしっかりと皆さんに話してあげた方がずっと親切ではないかと思います。でなければ、やっぱり、「どうして、自分達は勉強しなければならないの?」って思いながら過す皆さんもいるだろうと思うからです。



だからと言って、国に感謝する必要もありません。国というのは、そういう責任を持っていて、その責任を果たすために、皆さんのお父さん、お母さんが「税金」というお金を払っているのです。国に対して、感謝する必要はないのです。


むしろ、お父さん、お母さんに感謝したほうがずっと正解だと思いますよ。



それでも、「勉強嫌だな~」と思っている皆さんもいることでしょう。私もそうでした。 


 だから、本当は「好きな人が勉強して」、嫌いな人は「しない」というのも一つの案かもしれませんね。


 

 でも、今の所、残念ながら、そのような状況は、貧富の差が極端に激しい国の中において見ることが出来る状況です。


 広大な敷地を持ち、邸宅に住み、大きなプールと使用人がいて、高級車がズラリという家の横には、大きなスラム街があって、そこで暮らす大勢の人々は、大人も子供勉強する機会も与えらず、仕事もなく、昼間から川で洗濯をしたり、バスケットボールをしながら、超最低限と思われる生活をしています。


 そういう光景を私はある国で見たことがあります。ショックでした。そのような国のほうが良いと思いますか?



私は、出来れば皆さんに、喜んで「勉強」して欲しいと願います。安全が守られ、環境が整えられている国は、残念ながら、そんなに多くはないのです。


日本に生まれたことだけでも相当ラッキーだと私は思うのです。



それでも、そんなことを書かれても、話としてはわかるけど、「勉強は嫌い」と言えるあなたは、本当は幸せなのだと言うことを、ちょっとは知って欲しいと思うのですが……。