ユダはタマルによってぺレツとゼラを、ぺレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、(マタイによる福音書1章3節)
ユダはヤコブの子どもの一人です。そのユダとタマルの物語は「創世記38章」に記されています。ユダとタマルとの関係は、しゅうとと義理の娘という関係です。けれど、なんとも、ごちゃごちゃ(決していやらしいことではありません。実に人間的な悲しみが記されています。)したことが起こり、二人は関係を持ち、エサウとヤコブのように双子が生まれました。ぺレツとゼラという子どもです。ぺレツは(出し抜き)という意味で、ゼラは(真っ赤)という意味です。
ヘツロンはどうした、こうしたという物語は記されていません。ヘツロンの名前は地名にもなっていますので、割と知られている名前です。ただし、長男のルベンにもヘツロンという名の子どもがいますので、地名との関係ははっきりわかりません。この当たり、分かる方いらしたら教えて下さい。
アラムは聖書全体の中でその名前は144回も登場しますが、アラム個人としてではなく、ほぼアラムという地名で登場します。ヘツロンの子としてのアラムがどういう人物であったのか、その詳細はわかりません。これも分かる方いらしたら教えてください。アラムという名前は、「アラム・ナハライム」というチグリス・ユーフラテス川の上流の地域の名前です。そのあたりにアブラハムの血族が住んでいて、ユダの父親ヤコブはアラムの娘であるリベカを妻としたわけです。
ちなみに、チグリス・ユーフラテス川流域に栄えた文化をメソポタミア文明といいますが、その意味はギリシャ語で、メソス(真ん中)とポタモス(川)という意味から、二つの川の間という意味になり、メソポタミアといいます。
系図というものは、日本もそうですが、だいたい、女性は登場しません。けれど、イエス・キリストの系図には、4人の女性が登場してきます。しかも、それぞれに様々な事情を抱えた女性たちです。タマルもそのような重い事情を抱えた女性でした。
聖書は立派な偉人伝や道徳的訓が記されているわけではありません。むしろ赤裸々なほど、人間臭い物語が多く記されています。その意味は、人と神との違いをはっきりと主張しているのかもしれません。また、欠けの多い人間の弱さや、悲しさ、辛さ、を表現し、人は一人では生きられないのだと伝えているのかもしれません。
人は一人では生きていけません。だから、教会があって、いつも集まり、礼拝が執り行われるのです。
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