アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、(マタイによる福音書1章2節)




この1章2節は、旧約聖書のアブラハム物語、イサクをささげる話し、ヤコブとエサウの物語、なぜ、「ユダとその兄弟たちを」と記したのか、その一つ一つに超、超壮大なドラマが隠されています。



アブラハム物語を読みますと、アブラハムは「信仰の父」と言われ、皆に愛されているんですけれど、実は、かなり人間的で、世俗的で、神様を信じているようで、自分の考えに走り、何度も、失敗を繰り返していることがわかります。



そんなところも、多くの人々に愛されている理由なのかもしれませんね。



それから、あまり知られていないかもしれませんが、アブラハムは妻のサラが天に召された後、再びケトラという妻をめとって6人も子供が生まれるんですね。爆弾




神様のなさる業は人の思いをいつも越えて働かれることを思わされます。



アブラハムとサラとの間に生まれたイサクも、自分の生まれ故郷からではなく、アブラハムの生まれ故郷のリベカという女性と40歳で一緒になり、エサウとヤコブという双子が誕生し、そこから二人の兄弟の争い事へと発展し、結局、父イサクをだまくらかして、ヤコブが長男の権利と祝福を受け取ってしまう。


そんな話も実に人間臭い話です。得意げ



そのヤコブがイスラエルという名前を神様からもらい、12人もの子供に恵まれながら、自分が最も愛した妻ラケルの子、ヨセフやベニヤミンから、子孫が増えて・・・、とは聖書はしるさず、


 レアとの間の4番目のユダの子が、イエス・キリストの系図にしるされていることも、色々と考えさせられます。シラー




ユダは兄弟の中で目立たないようでいて、でも、結構キーポイントの立場にあって、のちのユダ族の歴史を思わされると、やはりマタイはユダという名前を記したかったのかなぁ、と思うのです。





この1章2節のこの文章だけで、壮大な旧約聖書の創世記の大部分を思い知らされます。そんな風に思いを馳せると、とっても大切な一節であることがわかるのです。


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