アルゼンチンのトキコさん | akazukinのブログ

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「日本史のいわゆる「非常時」における「抵抗の精神」とは真理追求の精神、科学的精神に他ならない」野々村一雄(満鉄調査部員)

アルゼンチンと聞いたらトキコさんを思い出す。


ナチスドイツの残党が潜伏しているところ、という発想は私にとって新しい。


そのトキコさんがテレビに出ていた。


辺境地に住んで自然農法で自給自足をしている、という海外に住む日本人の特集番組(1月20日、TBS)で取り上げられていた。


トキコさんがアルゼンチンに住み始めて16年たつという。


私たちが会ったのはその二年前だった。


その頃から、アルゼンチンに住みたいと言っていた。


その後手紙をやりとりすることも、電話をすることもなく、ただ、アルゼンチンと聞いたらまずトキコさんを思い出した。


今回、その変わりない元気な姿を見られただけでも、うまくいっていると安心した。


電気、水道、ガス等の文明の利器はいっさいなく生活は難儀しているだろう。


番組のスタッフも、このような場面では必ず出てくるような言葉、御世辞にも「夢がかないましたね」、とはいえない。


トキコさんも夢がかなった、とはいわない。

やりたいことが出来て楽しい、という。


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そもそも、簡単に口に出して、「必ず夢がかなう」というときの「夢」とはどのようなものだろう。


誰しもがうらやむ対象でなければ「夢」といえないのか?

億万長者になることが「夢」なのか?

その世界の億万長者は何をしているのか?

人よりも優れていなければ「夢」になりえないのか?

ピラミッドの頂点に最大の「夢」はあるのか?

頂点に立つためにはどのくらいの人を蹴落とさなければならないのだろう。

競争の果てに「夢」はあるのか?


「夢」という言葉には、人を高揚させ、華やかな、希望に満ち溢れた光のイメージがあるが、トキコさんのそれは、まったく逆である。


国の移民政策で海を渡って苦労した日系一世たちとは違って、移民政策もなくなり、自由に渡航できる時代に変わり、トキコさんは自分の意思で選んでそこに決めて住んでいる。


住まいも、仕事も、生活も自分で決めている。


月、二万円の生活費(物価は日本の十分の一)で贅沢は言わない。


もの好きな一部を除いて、誰もがうらやむ華やかな生活では到底ない。


それでも、今を楽しむ現実がそこにあるので「夢」ではないのかもしれない。


そうそう「夢」には、叶わない、儚(はかな)い、まぼろし、というイメージも持っている。


現代のように誰もが「夢」を口にし出した背景には、計り知れない闇が潜んでいると思う。◆


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パタゴニアの田舎町、エルボルソン


写真拝借;http://www.nojomallin.com/index.html