韓国のリーさん(4) | akazukinのブログ

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「日本史のいわゆる「非常時」における「抵抗の精神」とは真理追求の精神、科学的精神に他ならない」野々村一雄(満鉄調査部員)

明治政府の御用学者によって焚書された朝鮮の本に、前記の人造人間や、地底王国の伝説のことが書かれていたとしたら、イルミナティにとって邪魔ものであるに違いない。


聡明な日本の学者は、天皇が半島出身であることを隠すためだともっともらしい理由を付けるが、それは大した秘密ではないと考える。


万世一系をとなえる天皇制支持者にとっては、そうともいえないか。


イルミナティ連中の志向性を考えた場合、知られてはいけなかったものは、古代文明発祥地、バクダッド、アフガニスタン等の破壊であり、古代アレキサンドリア図書館を破壊したことであり、文化大革命で中国文明を破壊したこと等で明らかである。


そのように考えられるならば、


孝明天皇弑逆後の幕末明治維新フリーメーソン傀儡政府であった日本政府は、使い走りとしてちゃんと仕事をしたことになる。


その後、日韓併合政策で李氏朝鮮の影響を絶ち切り、両班(知識層、支配層)でない大多数の常民の支持を得たことは崔基鎬教授の分析である。


明治維新政府が日本に天皇制を定めて日本国を統治したように朝鮮にも親日派の李氏王朝を復活させて統治しようとしたことが、韓国維新派の失望と反感を買った。


李氏朝鮮がどういうものか日本人には想像できないものであったし、今でもそうである。


李氏朝鮮のやったことを見たいのなら、今の北朝鮮を見ればいいと崔基鎬教授は訴えている。


李氏朝鮮の呪縛から解き放たれ、怒涛のごとく世界情報が流入したということは、韓国にとっても維新に相当する。


日露戦争、日清戦争は、日本と相手国のみの戦争ではなかった。

清国の属国であって、独立国家でなかった朝鮮は、その都度翻弄されることになる。


始めて世界情勢を知った知識層には、日本に学び、その知識で以て国造りに着手する一派と、海外へ亡命して海外から韓国独立を工作する一派とが対立していた。


安重根は、海外に亡命した一派にコマとして使われた形跡がある。


安重根は、都落ちした両班の出身である。


父親の安泰勳(アンテフン)は儒者の手本になる程、優秀であったようだ。
1884年に、科挙(官試験)に合格した進氏(役人)のなかから、七十人が選ばれて、日本へ留学することが決まっていた。しかし、この年、開化党が、高宗(26代君主)の同意のもとにクーデターを試みたものの閔妃縁戚が牛耳る政権奪取に失敗したことから、留学計画は反古となった。


しかも、両班どうしとの度重なるトラブルに苦慮し、ソウルでカトリックに改宗している。
改宗後、トラブルが収まったので、熱心な天主教信者になり、家族や同郷のものにまで布教活動にいそしんだ。


海外情報は、この天主教のフランス人神父から始めて聞くことになる。


安泰勳が日本へ留学して、日本の実情をよく知るようになったとしたら、安重根が伊藤公を暗殺することはなかったと思う。(『日韓併合の真実』、崔基鎬著、ビジネス社、2003年、128頁)


これは崔基鎬教授の「もし」という希望的仮定である。


今でもそのような歩み寄りがされてもよさそうなものだが、それができないのは、上げたカマを降ろせないからである。

また、降ろせなくさせている。


よけいな首を切り落として一歩前へ進み出れば意識の世界が開けると、『六次元弁証法』の山本健造氏は唱える。


韓国で持ち上げられている安重根は、リーさんにとってたいした人物ではないようだ。
西洋もキリスト教も嫌いである。


李氏でない独立運動家を評価していないようである。


リーさんの考えがどのようなものなのか、またはどのような方向へ進むのかは、リーさんの胸の内にある。◆