昨日のことだ。友人と晩御飯を食べに行った。
それぞれの車で移動した。
前方が友人の車で、後方が私の車だ。
しばらく走ると、渋滞に引っかかった。
あまり込むような場所ではなかったか、
某大手ディスカウントストアが目の前にある道だったので、
週末なのもあり、車の出入りが多いのかもしれないと思った。
しかし、渋滞の原因は、実際には事故だった。
道路の片側車線を完全に塞ぐような形で、軽四がハザードをたいて止まっていた。
軽四はグリル部分が破損し、その前には自転車が倒れており、
その近くの歩道で子供が横たわっていた。
自動車が道をふさいでいるものだから、
対向車が来ないスキをぬって、対向車線から追い越さなければならない。
だから、前に全然進まない。
先に進んだ友人は近くの駐車スペースに車をとめ、
ぐったりしている子供のいる方に走っていった。
私はてっきり、友人がこの事故に何か影響を及ぼすような
運転をしたものかと思い、あせって近くの駐車スペースに車を停めて、
友人の方へ走って向かった。
友人の運転は事故とは全く無関係であることはすぐに分かった。
横たわった子供の横には、事故車の運転手と思われる若いカップルがいたが、
彼らは救急車が来るのを呆然と待っていた。
友人は興奮気味にカップルに対して注意した。
「なぜ、ただ待っているのか!ちゃんと交通誘導しなければ二次的に事故が起きかねない」
しかし、彼らのの反応は素っ気ないないものだった。
結局、警察と救急車が来るまでの間、友人と私が片側車線ずつを止め合って、
止まっている車に対し、一定時間ずつ交互に前進を指示した。
事故から我々が誘導に入るまでの間、かなりの時間が経過していたと思われるが、
なぜ、多くの人はその場を素通りしてしまうのだろうか。
ディスカウントストアの駐車場の前の道なのに。
「親切な誰かが、きっとやってくれるだろう」
「面倒くさいことは警察と消防に任せればよい」
そんな「自分は無関係」と思っている人が多くいたのかと思うと、少しぞっとした。
と言いながらも、もし友人が事故現場に駆けつけなければ、
自分だって「無関係」を主張して、
その場を通り過ぎていた一人だったかもしれないと思うと、
さらにぞっとした。
大震災から今日でまる一年が経過した。
去年はひたすらに「絆」という単語が叫ばれ続けたが、
もしかすると自分はどこか遠い国の話として捉えていた部分があるのではないかと思った。
あらためて、自分を見つめ直す機会となった一日であった。
それぞれの車で移動した。
前方が友人の車で、後方が私の車だ。
しばらく走ると、渋滞に引っかかった。
あまり込むような場所ではなかったか、
某大手ディスカウントストアが目の前にある道だったので、
週末なのもあり、車の出入りが多いのかもしれないと思った。
しかし、渋滞の原因は、実際には事故だった。
道路の片側車線を完全に塞ぐような形で、軽四がハザードをたいて止まっていた。
軽四はグリル部分が破損し、その前には自転車が倒れており、
その近くの歩道で子供が横たわっていた。
自動車が道をふさいでいるものだから、
対向車が来ないスキをぬって、対向車線から追い越さなければならない。
だから、前に全然進まない。
先に進んだ友人は近くの駐車スペースに車をとめ、
ぐったりしている子供のいる方に走っていった。
私はてっきり、友人がこの事故に何か影響を及ぼすような
運転をしたものかと思い、あせって近くの駐車スペースに車を停めて、
友人の方へ走って向かった。
友人の運転は事故とは全く無関係であることはすぐに分かった。
横たわった子供の横には、事故車の運転手と思われる若いカップルがいたが、
彼らは救急車が来るのを呆然と待っていた。
友人は興奮気味にカップルに対して注意した。
「なぜ、ただ待っているのか!ちゃんと交通誘導しなければ二次的に事故が起きかねない」
しかし、彼らのの反応は素っ気ないないものだった。
結局、警察と救急車が来るまでの間、友人と私が片側車線ずつを止め合って、
止まっている車に対し、一定時間ずつ交互に前進を指示した。
事故から我々が誘導に入るまでの間、かなりの時間が経過していたと思われるが、
なぜ、多くの人はその場を素通りしてしまうのだろうか。
ディスカウントストアの駐車場の前の道なのに。
「親切な誰かが、きっとやってくれるだろう」
「面倒くさいことは警察と消防に任せればよい」
そんな「自分は無関係」と思っている人が多くいたのかと思うと、少しぞっとした。
と言いながらも、もし友人が事故現場に駆けつけなければ、
自分だって「無関係」を主張して、
その場を通り過ぎていた一人だったかもしれないと思うと、
さらにぞっとした。
大震災から今日でまる一年が経過した。
去年はひたすらに「絆」という単語が叫ばれ続けたが、
もしかすると自分はどこか遠い国の話として捉えていた部分があるのではないかと思った。
あらためて、自分を見つめ直す機会となった一日であった。