今日本屋で、「なぜ日本人は英語がしゃべれないのか」という題材を扱った本をさらっと立ち読みした。

その中で、「英語に接するときに、英語を日本語に訳そう、もしくは日本語を英語に訳そうとするから駄目」という説明があった。

この意見に同調できるかどうかは別にして、私は、英語を話すときや読むときは、頭の中が英語だけになる。フランス語もそうだし、イタリア語、ドイツ語も然りである。そもそも、他の言語を聞く、読む、話すときにいちいち頭の中で翻訳をしていたら相当疲れると思う。

頭の中が他の言語になると、それに伴い「言動」の「動」の部分もその言語を話している人種のようになることが多々ある。例えばフランス語を話しているときはフランス人っぽいしぐさをすることがあるし、日本語を話しているときには絶対しないジェスチャーをしたりする。

要は言語だけでなく性格も変わるといういうことである。

複数の言語を扱える人は、複数の人格を持っている。そう言っても過言ではないのではないだろうか。

この本の主旨とは関係なくそう思った次第である。