おはようございます

 

アラン・コーエン認定

ホリスティックライフコーチ

桜水現実(オースイうつつ)です

 

昨日、アランさんは

日本でのイベントの全日程を終えて

ハワイに帰っていきました

 

全セミナーやトレーニングが

優しさと愛に溢れていて

短かったような

ものすごく長かったような

 

違う時間枠を生きていたような

不思議な気持ちです

 

 

アランさんの滞在中に

普段はあまり連絡のない

二番目の兄から電話がありました

 

なぜか分からないのですが

アランさんが日本にやってくると

こんなことがよく起こります

 

 

一人でお家で飲んでいたのか

兄の話は

自分が受け持つ

ある患者さんの話でした

 

ご家族の相談を受けて

ご家族はなんとか治療を受けさせたい

でも本人はなげやりになっている

 

ご家族が一生懸命で

落ち込んでいて泣いていて…

 

何故かいつになく

何度も何度も話していて

 

 

「たぶんこういう状況は

医者として

働いている以上は

珍しい話ではないと思うんだけどな」

 

そう思いながらも

 

私は兄の話を聞いていました

 

 

その時

私の口から

ふと出た言葉がありました

 

 

お兄ちゃんは優しいね

その方たちが心配なんだね

 

 

電話の向こうに

不意打ちをくらったような

間があって

 

その後

何かが兄の涙腺を

刺激したみたいな

感覚があって

 

しばらくして

 

んー

 

うんとも違うとも言えない声が

兄の口から洩れました

 

その瞬間に

 

私のなかで

兄の小さな子どものころの様子が

浮かびました

 

 

歩行が困難なお祖母さんを

遠くから見て

涙をこらえて

うつむいていた兄

 

蛹から孵化しようとうする

蝶に向かって

小さな声で

「がんばれ」とささやいていた兄

 

 

小さな頃

 

大人はもっと

「ちゃんとした」生き物だと

思っていました

 

物事に動じない

しっかりした理性を持って

強い人たちなのだと

 

感情に揺れずに

ちゃんと仕事を果たす人たち

なんだろうなと

 

でも

 

今私たちが体験している

「大人」という時間は

決してそうではなく

 

むしろ

 

「大人なんだから」という

ペンキで心を塗り上げて

 

向こう側に

 

純粋無垢な小さな子どもを

隠して

 

感覚を鈍くすることで

偽りの強さを

演出しているのかもしれません

 

 

だからこそ

時々向こう側に居る

小さな私がが叩いてくる

そのノックの音は

 

とっても大切だと

私は思います

 

情熱や喜びを

思い出せてくれるかもしれません

 

あるいは

 

あらたな気持ちになるように

垢を洗い流してくれるかもしれません

 

 

心が揺れることには

どんな出来事であっても

何か意味があるのです

 

 

兄のことに話を戻すと

 

 

そういう優しい心で

その方たちを

見守っていること自体が

 

もうすでに愛の奉仕であること

 

 

選択肢を見せることで

役目をちゃんと

果たしていること

 

あなたは決して

無力ではなく

役に立っていること

 

話のなかで

 

小さな子どもの兄も

きっとわかったのだと思います

 

最後は

いつもの

「どーでもいー話」で

終わりましたー(笑)

 

 

私は、というと

 

あーきっと

 

亡き母は

こんな風にして

時々兄たちの電話を

聞いていたのかもしれない

 

そう思っていました

 

 

愛はずっと

波紋を描いて

つながっていきますね

 

あちらにも

こちらにも

縦にも横にも

 

その縁と円のなかに

居させてもらえる自分は

本当にありがたい

 

そう思っています

 

 

U22