皆様、こんにちは

 

アラン・コーエン認定

ホリスティックライフコーチ

桜水現実(オースイうつつ)です

 

 

 

夏になると

どうしても思い出してしまうのは

亡き両親のことです

 

 

二人とも

夏に亡くなったので

 

 

分厚い雲や

目が痛いような日光

そして梅雨の終わりに

往生際が悪く

吐き出すように降る雨

 

 

そういう経験を毎年するたびに

病院に通ったり

東京と福岡を気持ちを奮い立たせて

通っていた頃を思い出します

 

いまだに鮮明に

 

それこそ不意打ちみたいに

思い出すことがあります

 

 

 

 

 

私の部屋には

家族5人で写真館で撮影した

古い白黒写真を飾っています

 

 

勇気が出るね

 

 

兄たちがそう言うその写真を

見つめていると

なるほど勇気がわいてくるけど

 

やっぱり時々

 

あー、

もっと大切に過ごしてればよかった

 

なんていう後悔もやってきます

 

こんな風に

いつかそばに居られない時期がくるって

誰も教えてくれなかったな

 

なんて思います

 

もっといろいろできかたかもしれない

楽しい思い出をつくれたかもしれない

 

苦労ばっかりかけちゃったかも

 

などなどと

気持ちが入っていくことが

時々今でもあります

 

 

これは仕方がないことだと思います

 

 

よくクライアントさんで

ご両親の介護や

親との別れを経験された方が

 

 

〇〇すべきなのに(できない)

〇〇すべきだったのに(できなかった)

 

 

そういう表現を使われますが

そう思ってしまうのは

仕方がないと思います

 

自分を責める必要はないよ

 

そう言われても

 

 

罪悪感を味わうことが

唯一その人たちと

繋がっていられる手段だと

 

思い込みたい時期は

ほぼ皆少しはあると思います

 

 

それになにより

 

それを味わいながら

不健全であっても

安らぎも覚えてはいるのです

 

 

後悔をぞんぶんにすることで

自分の愛をおくればせながら

なんとか表現しようとしているのです

 

そうすることで

 

次に進める一歩に

変えていくこともできます

 

 

底をうって浮上してくるような

そんな経験は

誰でもしたことがあるでしょう

 

 

「気が済むまで」

 

これって案外大切なことだと思います

 

 

悩んだり、苦しんだりだけでなく

楽しんだり、喜んだりすることも

 

 

たとえば

 

難しい決断であればあるほど

 

それが正しい答えだとは

確信がもてません

 

 

大切なことだからこそ

言葉にできないことがあるように

 

 

大切な決断だからこそ

確信がもてないからです

 

だけど

 

 

その時結構な時間をかけて

どうすべき問題に向き合う

 

その結果に出てきた決断や選択なら

 

 

それはもうそれだけで

ベストなのだと思います

 

 

そんなもん

ベストかわからないじゃないか!?

あんたは

責任をもてんのか?

 

なーんて言われちゃいそうですが

 

 

いえいえ

私は責任もちませんが

 

あなたが責任をもてます

 

 

と言い返しちゃいます(笑)

 

______________

 

私たちには

 

過去の出来事を

ベストに変えていける力が

備わっている

______________

 

私はそう思うのです

 

だから

 

 

今ここで勇気をもって

選んだり、決めることが

 

 

今ここで

その答えや結果が

正しいかどうかなんて

 

見出す必要はないのです

 

 

その問題に向かい合っている今

 

ちゃんと真正面に座っていても

ちょっと耐えられなくて

逃げ腰になってしまったとしても

 

それでも

 

その時やれるだけのことは

やったのだと

自分を褒めて欲しいと思います

 

 

あなたの心が

そのことに無関心でいられなくて

ある程度の時間をかけて

苦しんだのなら

それはそれで

その時できるだけのことはしたと

 

 

それで

 

「今」がいつの間にか

未来のここに変わった時に

 

 

その出来事から

どれだけ何を得られたか

 

もしその出来事がなかったら

私は今なにをもっていないだろうか

 

 

そう考えることができれば

 

何があっても

その決断や選択は最善だったと

言えると思います

 

 

だから

 

逆をいうと

 

正解不正解にこだわることなく

私たちは選んでいいのです

 

選びたいものを

 

 

あとからいくらでも

とりかえしがつくのですから

 

もちろん物質的に

何かを失ったと思っても

その物質はもどってこなくても

 

 

真に心の平穏を

与えてくれるものは

自分の心の中にしかありません

 

 

今朝、白黒写真を見ながら

 

あーそうだったと

思い出していました

 

 

私たち家族は

面白い家族で

 

家族ばらばらに暮らすことが

とっても多かったけれど

 

たぶん

 

きっと

 

私たちは

お互いを信頼していました

 

 

さみしい思いは

絶対に全員がしているけれど

 

だからこそ

 

少々こんな風に

このなかの二人が

あちらの世界にいっても

 

 

信頼がまだものを言っている

 

 

信頼が私たちを

繋げ続けてくれているんだね

 

 

そう言葉にしたら

 

顔をのぞかせていた

古い罪悪感が

頭を優しくなでられて

大人しく引っ込みました(笑)

 

 

問題に向き合う時

 

たくさん悩んで

たくさん苦しんで

たくさん迷うのはいいけれど

 

 

ここは

行き止りのデッドエンドではないと

 

それだけはしっかり

覚えていて欲しいと思います

 

私たちのもつ力がある限り

未来がある限り

 

デッドエンドなどないのです

 

 

U22