こんにちは。桜水現実(オースイうつつ)です。

 

アラン・コーエンUS事務局から4月のメルマガEASELETTER(くつろぎレター)が届きました。

エッセイを翻訳させて頂きました。アランさんのエネルギーが届きますように。

 

ちなみに、文中のIZの音楽は、この文章を読む前にクリックしてしまったのですが、

なぜか心がとても癒されて、涙が出ました。どうか聴いてみてください。

 

アラン・コーエンの4月の来日も目前です。スケジュールはこちらのホームページをご覧ください。

 

 

 

 

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--Visible and Invincible—

 

 

 

ある研究結果によると、多くの人はトラから食べられるよりも、人前で話すことを怖がっているとのことです。

 

クライアントの多くが、私にこう言います。

 

「外側の世界に向けて発信したいことがあるんだけど、人にさらすのが怖くて固まってしまいます」

 

こんな風に聞く人も居ます。

 

「ただ単に本を出版したり、芸術作品を発表したり、スピーチをしたり、コーチングをしたりするだけなのに、どうしてこんなに怖いのでしょう」

 

 

自分をさらすことへの恐れは、あなた自身が偽りの小さな自分を自分本来の姿だと認識してしまっていることを意味しています。

 

あなたはこう信じているかもしれませんね。

 

「私の本当の姿を見られたら、ジャッジされて、批判され、拒否され、笑われるだろう。だから自分の本当の姿なんて見せないでこのままでいよう」と。

 

しかし、あなたが恐れている自分の姿とは、そもそも真の自分ではないのです。

それはエゴの創作による自分自身の姿であり、あなたの真の自分と比べると限りなく小さな自己概念なのです。

 

真のあなたは、完全で、ゴージャスで、魅力的で、有能で、素晴らしくパワフルで、しかも徹底的に愛され得る存在です。

 

弱くてびくびくしている人格からはかけ離れている、完全な神聖なる存在なのです。

 

あなたがもし外側の世界に真の自分を出してみたら、素晴らしいことが起こるでしょう。

 

例えば…

 

1) あなたの周囲に恐れが刻んでいた幻想の堂々巡りを超えて動き始めたことで、あなたは自由で、心が高揚するでしょう。

 

2) 真のあなたを見て評価する人達によって、ありのままの自分で居ることに報われるでしょう。

 

3) あなたの手掛けたことはきっと成功するでしょう。何故なら、本物の情熱から湧き出でたものだからです。

 

もちろん、あなたを好きではないと言う人も中には居るかもしれませんし、あなたが受け取ったものに対して批判する人もいるかもしれません。

 

しかし、彼らはあなたの友人ではありません。

彼らはあなたに属してはいません。

いずれにしても、あなたは彼らのことを欲していません。

 

あなたは人生の旅を自分に合う人達、そう、あなたの真の仲間と歩いていきたいのですから。

 

奇跡のコースは、私たちにこう覚えておくようにと促しています。

 

「自己防衛なきところに、自身の安全あり」

 

自己のイメージを作り上げるためにエネルギーを注ぐほどに、自分の真のパワーから離れてどんどん離れて行ってしまうのです。

 

既に自分が充分で在ることを信頼する人々こそが、最も大いなる内なる平和を見つけ、最も成功していきます。

 

ありのままであることが、作り上げられたイメージよりもどんなにか光が強いかを表している私の好きな良い例が、IZです。

 

IZは、彼が弾くウクレレヴァージョンの”Somewhere Over the Raimbow"で有名になった、愛すべき優しさに満ちた体の大きなハワイアンシンガーでした。

 

レコーディングされた曲を注意深く聴いてみると、IZが徹底して言葉を歌に溶け込ませているのが分かります。

それらは既存の叙情詩ではなく、韻を踏んでもいません。

彼はただ自分のやりたいように、作っただけなのです。

 

しかし、詩がまったく正しくないのにも関わらず、また700パウンド近い体で、ロックスターのイメージでもないのに、そのアルバムは膨大な数の枚数を売り上げ、数えきれない程の映画やテレビのショーで取り上げられました。

 

そんな黄金のハートを持っていたIZは、

死しても尚、今日まで、彼の友人やファンによって愛され続けています。

 

あなたのギフト(才能)を外側の世界に打ち出すことに完璧である必要はないのです。

 

あなたはだたあなたであるべきなのです。

 

もう一つの手がかりですが・・・あなたがもし自分を外側にさらすことに神経質になるのであれば、フォーカスを変えてはどうでしょう。

 

「人は私をどう見るだろう」と言うフォーカスから、「私はどのようにして助けを与えることが出来るだろう」と言うフォーカスへと。

 

あなたが人々の意見を心配している時、あなたはエゴに閉じ込めれています。

あなたが奉仕に没頭している時、あなたがスピリットのもとに立っています。

 

その時こそ、はっきりと見えていて、揺ぎ無く(visible and invincible) いられるのです。