こんにちは。
桜水現実(オースイうつつ)です。

死は無ではない。
長い不在である。

そんな事を言った人が居ました。

昨日観た映画で、その言葉を思い出しました。

「マンチェスター バイ ザ シー」

また、「なんとなく」選んで観た映画。

映画を観る時は、私の場合少なくとも二種類の期待があるような気がします。

自分とかけ離れた世界や非日常性を楽しむもの。
(ヒーローものや魔法ものなど)

そして、

自分と同じもの、共通なものをリアルに発見して安堵、納得、希望を感じるもの。

この映画は、どちらかと言うと、後者だった気がします。

兄の突然の死をきっかけに、
その家族と主人公が身近な人の「死」を乗り越えようとしていく物語。

乗り越えていく過程で、
兄との思い出とともに、自分の見たくない過去を見なくてはならず、、、

今のような「自分」になってしまった原因に向き合わなくてはならないのです。

とても身近な人を亡くした経験がある人なら誰もが、一度は通るであろう道。

私も父が逝った後のことを思い出しました。

「お葬式」と言う日本映画がありましたが、それと同様に、

突然の兄の死を受けて、
形式的で物理的なものを準備しなくてはならないことと、
死をまだ受け止めきれない心のずれが、
随所随所によく描かれています。

主人公だけでなく、
遺された息子(主人公にとっては甥)も、
それなりに、自分なりに必死で向かい合う様子が、
日常に淡々と描かれています。

決して派手ではないので、
むしろリアルで、泣くと言うよりも、
痛みを見つめ続けている気持ちになります。

頑張れ!と主人公に言いたくなり、
ついつい劇的な回復劇みたいなパッピーエンドまで期待してしまいます。

でも主人公は、そんなに綺麗に進んではくれないのです。

じゃあ、この映画が暗いのか?と聞かれると、
明るくはないのですが暗くもなく、
登場人物はにこりともしないのですが、
会場には何度となく、笑い声が起こりました。

終わり方も「あー、今はここまでかぁ」と言う感じです。

でも、ふとエンドロールが流れるなかで、「あ、でも彼はきっと徐々に自分を取り戻していく。もう大丈夫」と思えるのです。

そうリアルに思わせるところが、この映画の素晴らしさかもしれません。

静かな静かな癒しの光が、音もなく少し差し込んできているのがわかる。

兄の突然の死と言う最悪の出来事が、
彼の人生に変化をもたらし、
良い方向へと導こうとしている。

そんな救済の光が見える。

私にとっては、そんな映画でした。

父を亡くした後、私もこんな風に日常で、
心をぶれぶれに揺らしつつ、

それでも生きるために「やらなくてはならないこと」があり、
でもそれにむしろ少し助けられながら、
それでもちょっと笑ったりしながら、
夜は一人で泣き虫になったりしながら、

時間が癒してくれるのを待ったなぁ、、、なんて、懐かしく思い出しました。

決して、辛い気持ちではなく。

きっとその時も、私の知らないところで、
癒しと救済の光は差し込んでくれていたのだと思います。

なぜなら、今、父を忘れることもなくても、
私は元気で、幸せに生きているからです。


コーチングでも、しばしば身近な方を亡くされた喪失感を抱えていらっしゃる方にお会いします。

(不思議なことに、お父様を亡くされた方が圧倒的に多いのですが…)

その時には、目を閉じて頂き、実際に故人に話しかけて頂いたりします。

そして、心の中にありありと存在していらっしゃることを知っていただくようにしています。

死は、遺されたものにとっては、
長い不在なだけであり、
遠く離れた家族を思うように、
心のなかには存在しているのだと感じます。

「マンチェスター バイ ザ シー」

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「死」ではなく、「生」にフォーカスした映画です。

人生は綺麗事ではなく、自分のペースでいいんだと教えてくれました。


うつつ